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車椅子電車評論家・アシトド松井
2022年、JR京都駅・嵯峨野山陰線ホームから「特急はしだて」に乗車、京都府北部・日本海側の天橋立駅で下車して、天橋立ビューランドでモノレールに乗せてもらって、山頂から天橋立を望み、その後、阿蘇海(天橋立に区切られた内海)で観光船にのりました。
ここからの旅行記は2022年著者が訪れた状況に基づいています。いつのものように画面上ではございますが、車椅子で行く天橋立(日本三景)の旅をご一緒に楽しんでいただければ幸いです。
例によって私の旅行の起点、JR京都駅からご案内いたします。
JR京都駅から嵯峨野山陰線ホームから「特急はしだて」に乗車します。綾部駅までは「特急はしだて」と連結して運行されていました。嵯峨野山陰線ホームのトイレは車椅子・オストメイト簡易対応トイレでした。
今回、京都駅から乗車した「特急はしだて」はモハ287-104という車両でステップがなく、また座席のひじ当てが(私の記憶だと片側だけ)が上げられる構造でした。
トイレは扉が曲線的に通路側にはみ出して室内を広く造られており、車椅子で楽に入ることが出来ました。多目的室もありましたが、施錠されており内部の確認は出来ていません。
すっかり運動能力を低下させてしまった著者は(アシカが肥えてトドになった)、車椅子に乗ったままで、鉄道旅行を楽しみます。同乗された方に写真を撮ってもらいました。
上写真右側が福知山城です。戦国時代、明智光秀が丹波経営の拠点としたお城です。著者は2002年手動車椅子で上ろうと試みて、あまりに急な坂道に途中でくじけてしまった思い出があります。
列車はJR線から京都丹後鉄道の路線に入り、天橋立駅をめざします。
天橋立駅に着きました。
京都丹後鉄道・天橋立駅では、ステップがありまた扉の幅が狭かった古いタイプの特急車両に合わせて作られたと思われる、長くて車両側の端が狭い渡し板が使われていました。板の端が待合室の壁近くまでのびて、降りるとき少し大変でした。
2010年に訪れたときには、車椅子乗客はホーム端のスロープ通路を利用していましたので、エレベーターが設けられてベビーカー利用の方や、歩行困難の方にとっても、大変便利になりましたね。
改札口を出てまずは、多目的トイレの撮影を。(ほかにすること無いんかい)
天橋立駅には改札口外側に車椅子・オストメイト対応フル規格トイレがありました(赤🔲のような形態)。また写真では階段しか写っていませんが、スロープ通路で駅にたどり着けます。
天橋立駅の裏側の山にある「天橋立ビューランド」へ向かいます。
距離的には近く歩道も整備されていましたので手動車椅子での移動が可能でした。踏切が1か所あるのでキャスターを上げてクリアしましょう。キャスターを上げられない方は(最近の私もそうですが)、観光客の来られるのを待って、助けてもらいましょう。
踏切を渡ると間もなく、天橋立ビューランドへのモノレール乗り場に着きました。人気の観光スポットそして休日ということで混んでいました。
モノレール乗り場の前に多目的トイレのマークがあったのですが、使用中だったため、どのような設備だったか確認できませんでした。また自動車でも大勢の方が訪れているようでした。
2010年に訪れたときには、モノレール乗り場へのエレベーターはなく、急な坂道を同行介助者と職員さん4名ほどで押し上げてもらったことが思い出されました。エレベーターは一応車椅子用とはなっていましたが、ベビーカーやそのほか歩行弱者の方のために臨機応変に利用されていました。
モノレールがやってきました。山頂側の車両に車椅子が乗り込むことが出来ます。また下の方にリフト乗り場も写っています。
天橋立ビューランドのモノレール乗り場は隙間・段差ともほとんど無く、すっかり運動レベルを落としてしまった著者でも、楽に乗降することができました。
2010年の天橋立ビューランドの様子について興味のある方はこちらをごらんくださいね。モノレール乗り場にエレベーターが出来るまでいかに大変だったか(介助の係り員さんたちが)がお分かりいただけると思います。
http://kurumaisu.iinaa.net/tanbatangokankou001.htm
「飛竜観展望所」にて、モノレールの中で話をさせてもらったベビーカーを押すお母さん達に、天橋立をバックに写真を撮ってもらえました。
横では股のぞきをやっておられました。車椅子だと股のぞきをしようとすると転倒しちゃうかもね。
係りの方に案内してもらって、スロープを上がって、高台にある展望レストランで食事をとりました。メタメタ混んでて、店の方に声をかけるのも気の毒なくらい、でも長く待ったおかげで、天橋立を望む野外テーブルを確保でき、天橋立を望みながら海鮮丼をいただくことができました。
展望レストランを後に、メリーゴーランド近くにある多目的トイレを使おうとするのですが、扉が少ししか開かないし、簡易ベットが折りたたんでいないものだから、中にはいれないよ。
困っていると親切な観光客の方が扉を直して、ベットも折りたたんで使えるようにして下さいました。ありがとうございます。
天橋立ビューランドにはメリーゴーランド・ミニ鉄道・観覧車などがあり子供連れでにぎわっていました。再びモノレールに乗り山を下ります。
モノレールの車窓からも天橋立がよくみえました。写真左側の海が阿蘇海(天橋立に区切られた内海)でそこで運行されている観光船の乗り場に向かいます。
モノレールをおりて、先ほどの踏切を渡って海側に、天橋立駅の方へと戻ってゆくと、
右側に人通りの多い参道が見えてきます。
参道のおくに知恩寺の三門があります。
知恩寺を参拝します。
知恩院の三門には石段があって車椅子ではくぐることができなかったのですが、海側に迂回すると舗装された道があり、所々小さな隙間がありキャスターを上げなければならなかったものの、知恩寺・文殊堂にたどり着けました。
知恩院・文殊堂は「三人寄れば文殊の知恵」で知られているそうです。
知恩寺の海側にある観光船乗り場「天橋立桟橋」につきました。
天橋立桟橋から観光船に乗ります。桟橋からは船が通ると90度旋回する廻旋橋がみえました。残念ながら船は通らず、旋回している姿をみることはできませんでした。
観光船に乗って阿蘇海(天橋立に区切られた内海)をめぐります。
座席の一部のひじ当てが上げられ、車いすから乗り移りし易いように作られていました。船内で売られていたカモメのおやつ(かっぱえびせん)を食べていたら、カモメが寄ってきました。
阿蘇海遊覧を終えて、天橋立桟橋にもどってきました。船の中でご一緒した車椅子利用者とその家族の方から、宿泊施設のバリアフリー情報をどうやって調べたら良いかというご質問をいただきましたので、ここで改めてご紹介しますね。(見てくださっていると嬉しいのですが)
滋賀県の宿泊施設については 旅しがstyle
日本全国の宿泊施設については (インターネット版)全国車いす宿泊ガイド
がお勧めです。名前で検索されると出てきましたよ。
天橋立桟橋を後に廻旋橋を渡り天橋立の松並木を巡ります。
ますは上の案内図で位置関係を確認していただきたいのですが、字が細かくてわからない?地図の左端の方だけ巡ってみました。
手動車椅子の同行者はお疲れが出て、橋の近くで休憩中。観光客の方に写真を写していただきました。
廻旋橋からアクセスして最初に見つけた松並木のなかのトイレには、念願の車椅子・オストメイト対応フル規格トイレがありました。
駅への途中の駐車場にて、海がとても静かて、いい景色です。
天橋立駅前で注文を受けてからカニ弁当を作って下さる、店をみつけました。電車の時間の関係で、食事をとってから乗車するには早すぎたので、新鮮なカニ弁当が購入できたのは幸運でした。では「特急はしだて」車内で食レポをと思っていたら、車内が撮影には暗かったことと、揺れて手振れをおこしてしまい、ピンボケの写真しか撮れませんでした。お弁当は美味しかったけど、食レポ企画は没です!
また私は受けをねらって小判型の入浴両を購入し、街の有力者にばらまきました。
お主も悪よのお!
「特急はしだて8号」に乗って京都駅に戻ります。
再び長いスロープ板を用意していただきました。ところが・・・
天橋立駅から乗車した、「特急はしだて8号」は京都タンゴ鉄道のKTR8016という車両で運行されて、残念ながらステップがあり急勾配。
ひじ当て(アームレスト)が上げられないので、座席への乗り移りが・・・
多目的トイレは通路に対して直線に造られており、著者の車椅子が入室するためには二回の切り替えしが必要でした。
JR京都駅に戻ってきました。ようやくKTR8000系「特急はしだて」の姿を写真にとることが出来ました。デビュー当時KTR8000系はバリアフリーの素晴らしい列車だと感じていたのですが、モハ287-104に乗った後だと、どうしても見劣りしてしまいますね。
他の車椅子旅行記との差別化をはかるために、食レポを交えて、またオストメイトでもある著者の必要性から、車椅子・オストメイト対応フル規格トイレを探しながらの、とても長い「天橋立車椅子旅行記」になりましたが、最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
2022年の状況に基づいているこのレポートも直ぐに時代遅れのものとなってしまいますが、読んでいただいた皆様のうち「車椅子でも天橋立に行ってみよう」と思っていだける方が、一人でもおられましたら大変嬉しく思います。
特典映像
(以前つかわせてもらった車いすルート)
2010年に訪れたときの
①天橋立駅の車椅子用・線路横断型スロープ通路と
②天橋立ビューランドのモノレール乗り場までの坂道。エレベーターが出来るまではこのような坂道を押し上げてもらっていました。
昔の車いすアクセスルートも研究しているオストメイト兼任障害者
車椅子電車評論家・アシトド松井