

車いす城郭評論家・アシトド松井
2023年暮れに、水戸そして大洗を旅行しました。2日目急遽、水戸城跡見物にいっても良いとの特別なご配慮をいただけることになり鹿島臨海鉄道(大洗鹿島線)に乗車して水戸駅に戻ります。水戸城にゆくことは計画にはなかったので事前調査が出来ておらず残念な所も多数ございますが。「車いすで城めぐり・水戸城編」を画面上ではございますが、ご一緒にお楽しみいただければうれしゅう思います。
旅行の主導権はすでに奪われているようだな!
大洗からJR水戸駅に戻ってきました。

❶水戸駅から水戸城跡をめぐる「水戸学の道」に行こうとするのですが


「城マニア」系の方が好む図鑑・雑誌等で水戸の街は築城の際に大きく作り替えられ、鉄道や道路が堀切の下を通っているとの情報は得ていて街じゅう坂道ではと思っていたのですが予想以上。案内板をみると城跡への道も曲がりくねって複雑で目標となる櫓(城の建物で、天守閣も櫓が発展したもの・水戸城では二ノ丸角櫓が復元されています)も駅からは見えません。

駅前に関東バスさんの営業所を見つけて緩やかな坂道を案内してもらえました。簡易電動で手動車いすを牽引して坂道を上って行く姿を見送ってもらたので、水戸駅に帰って来た時「無事に戻って来ました」とお礼の気持ちを伝えました。
城跡への道路は郵便局沿いの坂道が鋭角に折れ曲がっていてそのルートの方が最短距離で向かうよりもはるかに坂道の傾斜が緩やかでした。目印となる建物を教えてもらっていなければまず見落としてしまう道路状況でした。


❷水戸学の道に入れたようです
水戸城は他の御三家の居城(名古屋城・和歌山城)と比べると中心部近くまで、公共機関の建物が立てられいるという印象、平山城に分類されているのですが「水戸学の道」として舗装整備された道路で階段に阻まれることなく弘道館など城跡の中心地にたどりつけました。

🟥水戸城跡の地図をご確認くださいね

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大手門への近道は急勾配(①の位置)で車いすでの通行は危険と判断しました
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▢水戸中央郵便局〒を鋭角に坂(②の位置)を上がると案内図が在りました(③の位置)
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▢水戸城大手橋(④の位置)、二の丸に入るための橋で渡ったところに大手門があります。
- ▢二の丸角櫓(復元⑤の位置)があるのですが、たどり着くことが出来ず。駅からの道路からもビルに阻まれて仰ぎ見ることもかないませんでした。(当日急遽予定変更して「水戸城址」見学となったため事前研究不足です。少し城側の道に入れば仰ぎ見ることは可能だったと思われます。






残念ながら凸凹の石畳と砂利道があり建物には近づけませんでした。



大手門をくぐり抜けさらに奥へ、歩道や門にはわずかな段差があり移動に手間取りました。体力と片足切断後座居バランスが悪くなってキャスター(前輪)を上手く上げられなくなったのかなぁ。


復元された二ノ丸角櫓にも行って見たかったのですが距離が遠く、帰りの特急電車に余裕をもって乗車したかったので、大手橋を渡り弘道館前そしてJR水戸駅に戻ることにしました。



迷ってしまうと大変ですので、同じ道を使ってJR水戸駅に戻ります。




年末なのと近畿に比べて関東の日暮れは早く、在来線での旅のお楽しみ車窓からの風景撮影は出来ませんでした。
特急ひたちがJR品川駅に到着。介助・案内をうけ混み合うエキナカの商業エリアを通って新幹線ホームへ、JR京都駅へと戻ります。





今回は尊王(天皇を尊ぶ)と攘夷(外国を排除する)思想のあった徳川斉昭の水戸城跡をわずかな時間・「水戸学の道」に設けられた説明文を読むだけでしたが車椅子でめぐってみました。攘夷実行のため大洗に外国船にむけられた大規模な砲台跡があることも知ることが出きました。
斉昭を父にもつ最後の将軍・徳川慶喜は、鳥羽伏見の戦いで錦旗をみせられ戦う意思を失い、大阪城を船で抜け出し江戸へ、江戸城でも無血開城前に寛永寺へ、幕府存続を試みた旧幕臣達のその後の戦争の旗頭にはなれませんでした。「貴人情けを知らず」という方もおられましたが、幼き頃からの父・斉昭や「弘道館」で学んだ「尊王論」が大きく影響したのだと感じました。
予科練で「上官の命令は陛下のお言葉」と教えられた父をもつ
車いす城郭評論家・アシトド松井