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車椅子電車評論家・アシトド松井
法整備がなされ一定数の利用者がある鉄道の駅にエレベーターが設置されるなどの、バリアフリー化が行われるようになりましたが。そこに至るまでは車いすユーザーの先人たちの長きにわたる働きかけ(ときには「一揆ツアー」ともよばれた活動も)がありました。歩行者と分離するため橋上化・高架化された駅は長い階段を乗降できなければホームにたどり着くことが出来ず。私が車いす生活になった頃は電車内で車いす利用者をみかけることもベビーカーや、そして歩行車(手押し車)を使った年配の方をみかけることは、まずありませんでした。今回は滋賀県北部のJR長浜駅がどのような過程をへてバリアフリカーされたのかをご覧いただだき、駅に長い階段の乗降ができなくても鉄道を利用できることは決して当たりまえではなかった頃に思いをはせていただければ幸いです。
バリアフリーだけではなく、選挙に行けること、言論の自由があること、人権があること、すべて先人たちの絶え間ない努力の賜物だと感謝しています。
1️⃣1994年3月に車いす生活になってから初めて利用した長浜駅
1991年にJR北陸線が長浜駅まで直流化され、当時は車いすでの利用が最も困難だった米原駅で乗り変える必要がなくなったので、行ってみました。

電車が到着すると3・4人の駅員さんが反対側の改札口のあるホームに向かう線路上の従業員通路(⇧写真中央の木製の通路)に車いすに乗ったまま落として、反対側のホームに担ぎ上げるという「暴れみこし祭り」のような介助方法😨

当時のJR長浜駅には改札口に向かうためのスロープはありましたが白枠の写真のように急勾配でした。
JR長浜駅ホームの端は荷物の取り扱いがあつた当時の名残だと思われるスロープ状に整備されていましたが、線路を横断する通路はありません。

再度訪れたときは「暴れみこし祭り介助」は駅員さんの負担も大きく、車いすに乗っている私も怖いので、こちらから申し出て砂利を引きずり、いくつもの線路をキャスター(前輪)をあげて目的の電車の発車するホームに誘導していただきました。
2️⃣第3回車いす探検隊
(車いす障害者団体と社協そして市民や学生さんたちと構成)
1994年10年 車いす利用者と介助者が3つのルートから長浜市を訪れ、JRを利用して帰宅するという街のバリアフリー化を目的とした旅行を行いました
事前にJR長浜駅に車いすの団体と介助が利用する申し出と承諾を得ていたのですが、改札口から遠くのアンダーパスを通って駅舎の反対側の引き込み線に誘導してもらうと、社員用通路の上に幅広い板がホームまで敷き詰められていました。駅の構造を理解しておらず「このようなことになっているのか」と戸惑ってしまいました。

先頭を行くのは大きな
電動車いすユーザー



ホームに到着

車いすバリアフリー鉄道旅行です

3️⃣長浜駅ホーム端に車いす用スロープ通路が設けられました
JR長浜駅の近くに車いす障害者団体の役員の方がお住まいで、ホーム端がスロープ状になっているので、整備するのは容易ではと他の駅の設置例などを説明したところ、地域で陳情活動をして下され「車いす用スロープ通路」が実現しましいた。


でも車いす以外のベビーカー利用者や、階段の乗降が困難な方が利用できるわけではありませんでした
4️⃣平成8年(1996年)秋の完成をめざして長浜駅の完全バリアフリー化工事が始まりました



5️⃣完全バリアフリー化工事が完成、エレベーター・多目的トイレが設置されました



段階を経てバリアフリー化された鉄道の駅の一例としてご案内いたしました。突然 車いすやベビーカー・足腰が弱くなって階段を乗降できなくなった方、大きな荷物を持った方に使いやすい駅が実現したわけではないようですね。
車椅子電車評論家・アシトド松井