アシカなくてもトドまらず

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車いすで広島爆心地・人が最期に欲しいものは「水」ではないかとめぐる旅 2025年

このブログには私の怪我の写真が掲載されています。ご覧いただける場合ご注意下さい。

怪我の写真はカラーを単色に変えて掲載しましたが、それでも嫌な思いをされる方もおられるかもしれません。 お許し願いますか

大勢の方が水を求めてたどり着いた元安川と水だけが欲しかったころの私

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人々は水を求めて用水にむらがった

水を飲むとそのままガックリと息絶え

槽内に浮かんでいた

広島平和記念資料館に展示されていた絵に添えられた文章)

 

相生橋から元安川そして原爆ドーム(2025年撮影)

 

 

この車いす旅行記を読んで下さっている仲問の皆さんのなかにも事故や発病で長く苦しい入院生活を体験された方も多数おられると思います。もちろん先天性の障害で苦しみと共に生きてこられた生きてこられた方もおられるでしょう。

事故で突然訪れた私の入院生活は内蔵も同時に損傷してしまっていたので絶飲食の状態が半年ほど続くこととなります。

「飢え」は人を狂わせる苦しいものですが「渇き」はそれ以上。医師からは「点滴で水分補給は出来ている」と説明されても、人の構造は「喉」をとおらなければ渇きをみたすことにはならないようです。

 

お尻も壊れてしまったので残留物の排泄のため人工肛門を造ってもらったのですが、飲食は禁止されたまま

身体には充分な水分補給が(点滴で)なされていたのに、長期間渇きで苦しみ「水 みず   水が欲しい」と叫び続けた体験をもつ車いすユーザーが広島をずれて、当時の記憶がよみがえってきた様子をご紹介したくおもいます。

 

写真は私の受傷から半年ほど経過写真。手術には私の同級生の医師も加わっておられ、後日・傷跡に細菌が繁殖し手術ができず大変危険な状態が続いたと聞かせてもらいましいた。

 

呼吸器の酸素をおくる泡立った液体(写真参照)が飲みたくて仕方がありませんでした。

人間が最も欲しいものは水かもしれない

 

あまりに「水が飲みたい」と叫びづつけるので、深夜勤の看護婦(当時の名称)がアイスクリームを一口舐めさせてくださった。
助からないから・・・と思われたのかもしれません。

 

記憶がはっきりしないのですが、空襲で壊滅した都市の救護活動をしていた看護婦さんが被災した兵隊さんが水を欲しがるものの、飲み水はなく防火用水をくんでくると口にされ「ありがとう」とお礼をいわれて息絶えられた。防火用水にはボウフラが湧いていたと話されていた。

 

 

私は大勢の方が水を求めて傷ついた身体でやってこられた元安川の流れに触れてみたいという衝動にかられます。

 

最初の場所では急な階段に阻まれて川の流れを遠くからながめるだけ・・

元安川に近づくこともできない

 

川の周りをくるくるまわって、スロープ通路をみつけて川岸近くまで車いすで降ることができたのですが。

元安川の流れ触れてみたい

しかし車いす生活となった身では数段の階段に阻まれ流れに触れることは叶いませんでした。

 

「助けて」

  「水をください」  

       動く気力もない母親の胸にすがる幼児 広島平和記念資料館の展示文章)

 

 

私は水を飲めない「渇きの恐ろしさ」を(疑似体験とはいえ)知っているので原爆被害を受けた方の苦しみを想像するのには多少近い立場にたてるのかも、と考えていましたが

とんでもない自惚れでした

脊髄損傷になり、内蔵も損傷して「水だけを求め続けた」私と被爆された方との大きな違いは何なのでしょうか?自身の小さな体験を基に目一杯想像を働かせてみました。

 

❶中間貯蔵施設で被爆された方を担当された看護師さんの話によると何度治療(私の体験から消毒する薬を塗ってガーゼ交換を何日も繰り返されたのだと想像します)を続けても放射線によって遺伝子レベルで傷ついた細胞は新陳代謝により正常な皮膚に更新してゆく機能を失っていて出血は止められず治癒に向かうこともなっにたそうです。広島でも同様の状態の方が救護所に運ばれていたのではないではないでしょうか。

私はめくれた皮膚同士が付着してしまい、腕を動かす度に引っ張られているような感覚だったのですが皮膚を再生させる機能は残されており、ケロイド状になったものの生き残れました。

 

被爆した方に対して症状が感染するなどという痛烈な差別があったそうです。

脊髄損傷は骨折なので病気がうつるといった酷い差別は受けませんでした。

車いすで自宅に戻ってきた時(1991年の事だと思われます)地域に長く住んでいた方から「これから理不尽なことが次々と起こるだろうけど原因はあなたの身体にあるのたよ」とアドバイスを受けたことがあります。

職場では「普通に会話ができる」と驚かれたり。来庁者に全く無視されたり、宗教の勧誘が来られたり、忌み嫌われると言われたり。「ご遠慮いただいています」と入店・乗車をやんわり断られたり。それでも街の生活から隔離された施設(障害者は別の社会・コロニーに入所して生涯すごすことが当然という時代がありました)で暮らすことはありませんでした。

 

 

広島 平和記念公園の野外説明写真に見入る

テーマが重たすぎて筆が止まってしまいました

一旦公開させていただきますが、もう少し広島をおとずれて感じたことを書き加えたいと思います。ご了承下さい。

 

ただいま作成中です

 

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