(お詫び・フイルムをデジタル化した際に向きがわからなくなっている画像があります、間違っていればご指摘いただければ幸いです)
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車いす城郭評論家・アシトド松井
このブログにお越しいただきありがとうございます。
2024年3月15日放送されました NHK Eテレ 「バリバラ」をで車いすでのお城めぐりが紹介されました。
「バリバラ」歴史バリリアフリー~難攻不落の「城」を攻略せよ については下記のNHKのサイトで紹介されています。
☞歴史バリアフリー 〜難攻不落の「城」を攻略せよ〜 - バリバラ - NHK
取材をお受けして昭和の末から平成の初め、街の使えるトイレ(多目的トイレよりも狭い範囲を意味します)探しから始まった車いす利用者の外出が、お城「難攻不落・意図的にバリアだらけに造られた軍事要塞」に行ってみるというテーマの番組が作成される段階にまでたどり着いたのだと感慨深いものがありました。
このような状況は、この国が、多くの批判をうけることがあっても平和な状況をつづけて来られたことの賜物だと思っています。戦争や天災により多くの一般の方が日々の暮らしにも困り余裕がなくなったとき「バリアフリーや福祉」なども無くなつてしますのだと考えてます。廃城令をまぬがれ江戸時代から残されていたお城の天守も太平洋戦争(日本では大東亜戦争と呼ばれていた)により数多く失われてしまいました。福祉やバリアフリーは(歴史的に見て)繰り返される戦争や天災の合間に咲くことが出来る花(あだ花とはいいたくない)かもしれません。だからこそわずかな間であっても皆様のお力をお借りして大輪の花を咲かせてみたいと思っています。
ここから番組内では伝えきらなかった、メッセージをアシカさんトドさんの対談形式でご紹介できればと思います。
🅰車いすで外出の際のバリアフリーは使える状態のトイレ探しでした。
<トド>車椅子で使えるトイレ探しとはどういうことですか?
<アシカ>私は昭和63年に脊髄を損傷・車椅子生活になることが確定して、平成になってから改造された自動車を運転して単独で外出する(鉄道を使っての単独外出は平成4年から)ことになるのですが、当時「多目的トイレ」としてつくられたものでも、使える状態に保たれているところは少なく。自動車を自ら運転して、目的地の多目的トイレを利用する以外に選択肢の無い状況が多くありました(すごく汚された状態で放置されたトイレも多数ありました)。
少し後になってからの写真になりますが、幾つかのケースをご紹介いたします。
❶本来想定された設置目的以外に利用されている
❷多目的トイレが一般用とは分離され離れたところに設けられる
上の写真のトイレは港のターミナルビルから道路を隔てたところにあったのですが、ターミナルビル内には一般のトイレしかなく、車いす利用者はひっそりした自転車置き場のトイレに行かなければなりませんでした。
別の港では多目的トイレは物置や倉庫の奥に設けられているところもありました。
❸多目的トイレなのに段があって車いすでは利用できない
写真は撮影していませんが、高層の百貨店の四階にだけ多目的トイレがあるというのでエレベーターを利用して行ってみたのですが、ドアの内側に段がありたどり着くことが出来ませんでした。
(ご注意)当初は車いす利用者のみの利用としたものが多く「車いす対応トイレ」と表記するのが正しいのかもしれませんが、区別が難しいためこのブログでは「多目的トイレ」としてご紹介しております。
こちらのブログもご覧くださいね ☞「車椅子で使えるトイレ探し」
🅱車椅子城郭評論家(本当はいい加減に城マニア)としての活動について
ここからは不適切と思われるコメントが含まれます。
<アシカ>私はマルチな城マニアで石垣しか残っていないお城を眺めるだけでも楽しめるのです。
まずは超有名な石垣のみが残るお城跡
安土城につきましてはこちらもご覧ください☞織田信長・天下布武の夢の跡をめぐる
<トド>でもこのお城は駅から少し距離があるみたいで。車いす利用者は自動車を使はないと見に行けないのでは?
<アシカ>私は簡易電動車椅子で駅からたどり着いたのですが、ではもっと駅近く(駅チカ)の物件じゃなくて城跡をご紹介しましょう。
<アシカ>この物件じゃない城跡なら新幹線の駅を降りればすぐに天守台(天守閣を立てるために積み上げられた石垣)に辿りつけますよ。
<トド>もう一人のゲストの方が「復元天守閣ではなく本物でないと」というようなコメントをなさっていたので、悔しくてこのようなブログをつくっているのでは?
<アシカ>決してそのようなことは😨 どうやら図星
では私がお城の石垣についても研鑽を重ねていることをご説明しましょう。
また偉いたいそうなお話で
<アシカ>上写真左側は天守台に使われたお地蔵様(逆さ地蔵)と右側は平城京の門の礎石です。他の車いす利用者が天守台に登っているあいだに、市の学芸員さんから説明を受けました。ヒルコ神話を調べるために読んで疑問に思っていた「古事記」と「日本書紀」との違いについても教えてもらえました。
お地蔵様が転用石として城づくりに使われた例としては
①比叡山焼き討ち後・残された山中のお地蔵様が、坂本城の石垣に
②坂本城落城の後、新たにつくられた大津城の石垣に転用
③大津城が防御上の理由から膳所に移されることになった時、膳所城の石垣としてさらに転用されたことがあるそうです。
(膳所城跡公園・現地説明板を参照)
<アシカ>さらに私はこのようなお城跡にも出かけて歴史の知識を深めているのです。
<トド>どこにあるのかも分からないし、野田城跡に至っては碑が立っているだけじゃないですが!
<アシカ>ネットでいろいろ検索すれば場所はでてきますよ。
いい加減にしろ 🏰
こちらもご覧いただければ幸いです☞「バリバラ取材出演の記録と車椅子で神社・寺院へ参拝体験談」
車いす城郭評論家・アシトド松井
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