最初に障害者の福祉向上をもとめ運営に携われている団体の役員そして後に理事と呼ばれるようになった方には、不愉快な内容になっているかもしれません。申し訳なくおもっております。それでも伝えておきたい内容でした。
ブログの自己紹介欄に記載しておいたので、ご存知の方もおられると思いますが、私は民間企業の勤務をへて国家公務員となった職歴をもっています。
今回は趣を変えて、「公務員」そして任意団体から法人化してゆく所属「障害者団体」の間で揺れうごいた体験談を知っていただければと思います。
A復職までの経緯と障害者仲間との交流
①世間で言われるノンキャリアの公務員として在職中に突然車いす生活となります。退院をせまられ、リハビリを目的とした施設にも入所を断られて行き場を失った私を、職場のトップが障害者の社会参加に理解がある方で(復職後キャリア官僚であった上司の友人の方偶然お会いして事情を知ることになります)拾っていただくように復職させていただきました。
②車いす利用者としての立場以外にも内部障害者や地域の障害者団体、計4つの団体に入会して行事にも積極的に参加していました。年号が平成に変わって間もない頃(1989年に昭和の時代が終わります)は、団体を通じてでしか、楽しめる場所が無く(街には車いすで使えるトイレもありませんでした)障害者団体主催の行事を通じて休日を楽しむことは、ごく自然な成り行きでした。
B障害者の生活をテーマにした講演にパネラーとして参加しても良いのか
1996年(平成8年)所属団体の方から県主催の福祉関係者向けのセミナーでパネルディスカッションを行うので車いす生活の立場から話してもらえないか、との依頼を受けます。タイミングの悪いことに下記のような中央官庁・霞ヶ関勤務の公務員の方の講演に関する新聞報道があったので、直属の上司に相談。有給休暇(以前勤めていた民間企業では、有給休暇を取得するという発想がもてなかったので恵まれていました)を使って参加するとの条件でセミナーへの参加の許可をとりました。そして自分の判断で謝礼は固辞することにしました。しかし後味の悪い結果が残ります。
Ⅽ利害関係が発生するのではないかと疑問を感じる問題がでてしまいました
2000年(平成12年〉突然・所属障害者団体が共同作業所の経営を始めると発表します。末端の職員とはいえ行政と利害関係が生じる可能性があると感じたので、役員を辞任・行事等の参加もやめ、匿名で機関誌に投稿するという程度に抑えることにしました。私以外にも地方公務員の障害者の会員さんが何人かおられたので、「会の運営に支障をきたすような話はしてくれるな」とクギをさされました。共同作業所を障害者団体が経営することには会員さん内で反対意見が多く出されたようで、団体とは関係なく別に設立するということで決着します。
D障害者団体の法人化は誰しも未体験の事柄でした
①1998年(平成10年)にいわゆるNPO法が出来。任意団体であった障害者団体の法人化という問題が出てきます。任意であれば、町内会のようなものと思われて済むのですが、NPO法人となれば社団法人の一種で、役員は理事・会員は社員(サラリーマンを意味する会社員ではなく社団を構成する人という意味)になります。
②2004年(平成16年)他の会員さんからの要請もあり上司の許可を得て何年かぶりに「法人化を議題とする」総会に参加、私が考えうる法人となった時の問題点・行政との関係などを矢継ぎ早に質問しました。法人化を推進する立場の役員の方が事前に行政の窓口に出向き相談して勉強していただいき回答してくだされたので、法人化に反対するのは私の個人的な事情だけなので賛成することにしました。総会での私の横の席には、かって共同作業所設立を推進した方が「私の発言が暴走しないように?」とお目付け役をしていておられたように感じました。
同時に総務課をとおしてして「所属障害者団体がNPO化するのですが会員(社員)としてとどまることは可能ですか?」という照会をしてもらっていました。
障害者団体の法人化は当局にとっても初めてのことであり、回答は数ヶ月後に
「とりあえず許可する。ただし問題がおこれば速やかにそのつど報告・判断を仰ぐこと」といった内容でした。口頭でそのことを知らせて総務課長は、「後は自分の身の振り方をどうするかだね」とアドバイスを下さいました。役所の仕事を続けるのも障害者団体の活動に移るのも私が選択すべき生き方の問題なので当局が回答することではないのだと感じました。また人生の先輩として「生き方は職業にしがみつくことだけでもないよ」と言ってくださったのかもしれません。(当時はまだ終身雇用が当たり前と考えられていた時代でした)
E私の選択とその結果
私は役所の仕事を続けることにしました。会費を払うだけで全ての障害者団体との関係は控えることにしました。職場では合理的配慮という考え方の無い当時としては出来る限りの配慮をしていただいた上、障害を理由に給料が低く押さえられることはありませんでしたので、私のレベルの障害としては(共同作業所などで仕事をされている仲間に比べて)破格の収入を得ることができました。しかし「同じだけ給料をもらっているのだから」というプレッシャー、「逆差別」という見方をされる方もあり、肩を酷使・動けなくなり精神的にも潰れてしまい。十数年後に追い詰められるようにして退職することとなります。
F国家公務員には刑法犯以上の倫理を求める法律ができます
私がまだ、それなりに仕事がこなせていたころ「国家公務員倫理規定」ができます。
そこには利害関係者とのあいだで禁止されている事柄が書いているのですが、当初は具体的なケースについての説明がなく例えば、
商店街の「ガラガラ」抽選で景品をもらったら利益供与になるのか?
あるいは議員の方が陳情にこられたら、利害関係者と関わると問題になるかも知れないので走って逃げ出した方が良いのではないか。といった笑いきれない笑い話まで出ていました。
とことん突き詰めると公務員は地域社会に住まない方が良いのではという結論も出そうな大まかなことしか知ることが出来ませんでした。
それなりの期間の後、どこまでの範囲であれば構わない、このようなケースは懲戒処分となるという具体例が示された冊子が配られ、地域社会で生活しても「これだけのことを守り」「迷ったら相談すれば」大丈夫かも?、という内容が周知されました。携帯用の「国家公務員倫理カード」も配布されました。
ブログの最後に参考資料を掲載しています
障害者の福祉向上をもとめ運営に携われていた役員そして後に理事と呼ばれるようになった方には、不愉快な会員と思われたと感じています。また相談をかけた職場の上司の方にもご面倒をおかけしたとも感じています。
後につくられたこの国家公務員倫理審査会のカードを見る限り、問題発生時点の私の対応は批判をうけるかもしれませんが、当時の知識で考えうる精一杯の行動をとろうとしたのではないかと振り返っています。
障害者運動や地域社会との関わりを悩み続けた公務員生活でした。
それが幸せに結びついたかはまた別次元の話のようですね。
Gここまでの体験談を自分自身で振り返って
私は国家公務員の障害者枠での採用がなかった時代に仕事をさせてもらえた珍しい存在だったなのかもしれません。
また私生活での制限がほとんどなかった民間企業にそれなりの期間(健常者時代)働いた経験があったのでギャップに苦しんだのかもしれません。
でも休日の日に「職場に遊びに来い」といわれて仕事?したこともありますので、私生活は時間的に制限されていたのかも?
どちらにしても、自らの能力を超えて働き悩み続ければ潰れてしまうようです。車いす利用者の方が肩を酷使して働き続ければどうなるかはこのブログを読んでいただけた方は理解・想像してもらえればと思います。そして昔は「お役所仕事」と呼ばれてノルマもない楽な仕事と思われがちだった公務員の世界も年々厳しくなり、余暇に気がるに障害者団体活動に参加することすら・・・
まあ、あまり突き詰めると精神を病みますので、ポーッとする時間も大切にしなければいけないようです。下半身不随の方の場合は「ほうかしきえん」等になって足の切断などに至ることもありますので、ベッドに横たわる時間も大切にしてくださいね。
※注1 1996年に報じられた公務員の講演に関することがらです。報道内容が正しければ、今日(2024年時点)では考えられないような緩い自粛の内容だったと感じています。
※注2 写真左側に利害関係者との間では「ゴルフや旅行を共にすること」を禁じていると記載されています。自己の費用を負担して「割り勘」であっても懲戒処分の対象になり得ます。
参考資料
既に退職されている元官僚の方から2000年3月に送っていただいたハガキです。
国家公務員倫理カードその3(2010年・平成22年配布分)には
「利害関係者と共に飲食することは、割り勘など利害関係者の負担によらない場合は認められます。(自己の費用が一万円を超える場合は倫理監督官への事前の届け出が必要です)」と明記されていますが・・・
「国家公務員倫理規程法」成立当初は具体的に懲戒処分となる行為が例示された冊子・カードは配布され」ておらず、相談窓口も設置・周知されていなかったので、「公務員は地域社会に住んではいけない」(重度障害者もかつてはそうだったけど)と思える心理状態におかれていたように感じました。
個人的な勝手な解釈ですが、「実際に利益供与にあたるのかを判断・論じる」のではなく「周囲からどのように見られるのか」「誤解を招くような行動を禁止する」という趣旨でつくられた法律と規定だと考えています。
思い出せる限り年号を記載いたしました。その当時の状況に基づいています。