アシカなくてもトドまらず

車椅子で鉄道・路線バス等を使っての旅行を紹介しています。適当なブログから「☞アシトドのブログのメニュー画面へー」をクリックしてくださいね。オストメイト情報もあります。

飛行機の車椅子トイレは使えるようになりましたか?

飛行機内の車いす対応トイレに行ってみる

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車椅子電車評論家・アシトド松井

飛行機には1993年頃に「車いす利用者とその家族」用の特別なツアーに申し込み、羽田空港から北海道旅行に出かけたのが最初で、1995年にYS11という国産初のプロペラの旅客機に職員の方にタラップをおぶって機内の座席までつれていってもらって高知に行ったり、少ないながらも車いすでの飛行機の旅はそれなりの体験をさせてもらっています。

飛行機内のトイレについては車いすマーク(正式には障害者のための国際シンボルマーク)の表示があることに気づいて、A320B777-200という二つの機種で利用を試みたのですが、足が曲がらず背骨が変形して小さな機内用車イスでは座位が保てなかった私には利用することはできませんでした。

2013年以来、飛行機には乗っていないのですが機内トイレについてはあまり改善されていないようで、アシトドのHPの飛行機での体験記事もいまだに上位に検索されていて、この状況は車いす利用者の立場からすれば好ましくありません。再度「飛行機トイレ」に特化したブログを作成し、車いす利用者の飛行機の旅を考えてみたいと思います。

 

この記事は2013年までの搭乗体験に基づいています。最新の情報ではございませんのでご注意くださいね。

 

車いすマーク(飛行機内では障害者のための国際シンボルマークとして付けられているのかも)の表示があっても飛行機内トイレが利用できるとは限りませんよ。

車いすマークが表示された飛行機トイレですが全ての車椅子利用者が利用できるレベルのものではありませんでした

 

機内トイレで車いすに対応しているというのは、一般的な車いすに比べてはるかに小型で座面も狭く幅の狭い「機内用車いす」で入室できるトイレという意味だそうです。そのことをご留意の上、以下の記事をお読みいただければ幸いです。

機内に入るための車椅子に乗換える必要があります

車椅子利用者が飛行機に乗る場合、他の公共交通機関と大きく異なることがあります。それは機内に入れる車椅子に乗換えて搭乗しなければならないということです。飛行機に乗られると気づかれると思いますが 通路がたいへん狭く、普通の車椅子では座席にたどりつけません。また離着陸・乱気流や不時着の安全確保もため固定の座席でベルトを着用が必要となり、車いす用のフリースペースなどは無いようです。

機内の通路の幅を広げていただければ、車いす利用者の飛行機利用時の負担も少なくなるのですが、民間企業であれば当然ですが座席数を多く確保しなければならない経営的な問題、シートを広くして豪華なものにして通路幅が広げられないなどの理由があるように思います。

後輪が取り外せてひじあても邪魔にならないように出来る「搭乗用車椅子」に乗換える必要がでてきます。アメリカの同時多発テロでは小さな刃物が用いられたときいていますが、車イスは大な金属製品を機内に持ち込むことになるわけですからテロ対策という側面もあるかもしれません(考えすぎかも?)。自分の車椅子は貨物室に乗せてオーナーとは別室でのフライトとなります。

飛行機を利用する際に使われる車椅子には、空港から飛行機に乗りこむ際に使われる車椅子(空港に準備されていて飛行機のドアが閉まるまでに空港に戻される)と、機内でトイレに行くときなどに使われる飛行機に積み込まれている車椅子などがあるそうです。正式な名称と異なるかもしれませんが、このブログでは空港で用意される車椅子を、「搭乗用車椅子」、機内に準備されている車椅子を「機内用車椅子」という名称で説明します。

 

 

最初に「自身の車イス」から飛行機内トイレを利用する際必要となる「機内用車イス」への移動のようすを確認しておきましょう。

❶飛行機に乗るとき使わせてもらうことになった車椅子について

飛行機に乗るときに自身の車イスがら「搭乗用車いす」への乗り換えて車輪を外して機内へ、そしてフライト中(扉が閉じられている間)飛行機内の車いす対応トイレへの移動は「機内用車いす」を使って移動させてもらうことになりました。

 

飛行機内に入るための車輪が外れる搭乗用車いす

搭乗用車椅子

搭乗用車椅子にもいろいろな種類がありますが、 基本的には機内に入る直前に後輪が取り外され、 ひじあても機内通路を通る際じゃまにならないように後方に曲げられる等の構造になっていました。

搭乗用車イスに乗り移って、機内に入る前後に車輪・ひじ当てが外されて

 

狭い機内の通路をゆっくり座席まで誘導してもらいます

 

飛行機の扉が閉められフライト開始、そして到着した空港で扉が開かれるまでは「機内用車いす」で移動することとなりました。

機内用車椅子

飛行機内に用意されていて、フライト中(飛行機の扉がしまって、目的地の空港に着き扉が開くまで)の機内の移動のために使用される車椅子。著者が体験させてもらったものは、搭乗用車椅子より座面が狭いという印象でしたが、小さなひじ当て(アームレスト)がついていて、身体が変形して座位バランスの悪い著者にはひじ当てが無い搭乗用車椅子より有りがたいものでした。ベルトもついていました。ただ足の曲がりも悪い著者の障害レベルでは足を床に引きずってしまって移動は困難でした。事前に足をくくって、自分の腕で引き上げられるなどの工夫も必要だと感じました。車椅子の規格決まっていてどうにもならない現実があるのなら、一度ためして困ってみて、自分の障害レベルで対応できる工夫を障害者側が考える必要もありそうです。全ての障害者がそうできるわけではないでしょうが。
(2013年の段階で体験した感想です)

機内用車いす

機内用車イスは大きな車輪を付ける構造にはなっておらず、狭い飛行機内の通路を客室乗務員の介助をうけて最低限の移動ができるようにつくられていました。

まあ飛行機内だからトイレ以外に行くところも無いでしょうけど

 

B777-200という飛行機の車いす対応トイレ

 

B777-200という飛行機の案内

搭乗したという証拠として掲載しますね。

 

B777-200という飛行機の車椅子対応トイレ(私が体験した状況)



B777-200の機内トイレと通路を仕切るカーテン

A320という飛行機の車いす対応トイレ

A320という飛行機の案内

搭乗した証拠として掲載しますね。

 

一般の乗客よりも先に搭乗させてもらったので、機内の車いす対応トイレを使わせてもらおうとするのですが、トイレの周囲は冷蔵庫などもおいてあって、扉が閉まらなくてもカーテンを閉めれば広さは確保できるとの説明だったけど、ここで用をたしてよいものなのですか?

カーテンを閉めれば広さは確保できるというA320車いす対応トイレ

あまり車いすで飛行機内トイレを使う方がおられないのか、客室乗務員の方が開く扉が妨げになる側に車椅子を誘導されてしまい、動けなくなり。一般乗客の搭乗が始まり座席に戻ることが難しくなってきたので利用を諦めることにしました。

車椅子ユーザーのいる方向に扉をあけたら動けなくなったよ

 

帰りも同じA320に登場してクルーも同じ方だったので、お願いして機内用車イスをトイレに入れてもらって、写真をとってもらいました。後ろの洗面台が邪魔をして機内用車イスがトイレ内に入りきらないようですが、洗面台側に向かって車イスを入れれば扉を閉めることが出来そうです。ただしトイレ内は非常に狭い、多少立てる障害レベルの方で無ければ便座への乗り移りは不可能ではないかと思われました。

A320という飛行機の車椅子対応トイレ(私が目撃した状況)

両機種でいろいろ試したものの、背骨が変形して座位バランスが悪く、足が曲げられず引きずっての機内用車イスでの移動は困難と判断した私は、飛行機内の(車いすマークの付いた)トイレを利用することを諦めてしまいました。運動能力(残存機能)が優れている同乗して下さった車椅子ユーザーはB777-200の機内トイレ(車いすマークの付いた)を利用することが出来ました。

 

 

機内トイレの利用を諦めた方には、カテーテルから尿をためる袋を足につけたり、下の写真のような道具を使われる方もあるといううわさ話が。

本来は渋滞の道路で使ことを想定しているようです

あんたがそそのかしてるんじゃないでしょうネ!

 

とりあえずの私の結論

車椅子利用者と一口にいっても残存機能・障害の程度は千差万別です。少しなら立てたり・歩ける方もおられれば、自身の車イスでなければ座位バランスを保てない方もおられます。そのことを考慮せずに飛行機内のトイレを車イスで利用できるかどうかを一般論として語るのは現実的ではありません。飛行機に乗られた際に自身でためされ、残酷ですけど困ってみることも車椅子ユーザーが行動範囲を広げたり、あるいは自身の限界を見極めるうえでは大切かもしれません。

アメリカ合衆国で機内の車イスを使いやすくしようとする動きや、すでに隣り合ったトイレの壁を開けて中を広くする機内トイレもあるようですが、狭い機内で地上のバリアフリートイレのような広さと設備を求めることは難しでしょう。

 

飛行機の旅をしたいけど・・・ためらう私は車いすユーザー(オストメイト兼務)

 

この記事は著者が最後に飛行機に乗った2013年までの状況に基づいたもので、最新のものではありません。参考程度にご覧いただき飛行機の旅は大幅に改善されて(いれば良いのですが)いるかもしれませんので、独自の情報収集をお願いいたします。

 

 

このブログは2013年以降に作成していたアシトドのホームページを元に「飛行機で車いす利用者がトイレを使えるかどうか」というテーマで再度作成したものです。

写真は小さなものになりますが、飛行機への搭乗方法などを含めてご紹介したページがございますので、こちらもご覧いただければ幸いです。

☞車椅子で飛行機に乗って旅行する(アクセス解説飛行機編1) 2ページあります

過去の原稿を使ってブログづくりの手を抜いたのでは?

 

長時間トイレに行けないことを恐れて、車いす生活になってから外国旅行に出かけたことが無い

車椅子電車評論家・アシトド松井

 

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車いす乗客のための近江鉄道物語 第4話 新駅の開業と既存駅のコミュニティセンター化でバリアフリーに変わる近江鉄道

近江鉄道沿線にて(古い車窓風景も含めて)

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車椅子電車評論家・アシトド松井

車いす利用者のローカル線の旅のブログを一覧表にしました、こちらもご覧板ただければ幸いです

☞車椅子で行くローカル線の旅

第3話まででご案内したように近江鉄道へJR線から乗り換える接続4駅のバリアフリ化が行われ、車イス・ベビーカー・その他の歩行弱者の方の近江鉄道利用環境は著しく改善されることになりました。視覚障害の方とは、乗り合わせたことがあるのですが、バリアフリー化された駅の近くに住む電動車いすユーザーの知人は米原駅から新幹線に乗られる際にも、自動車で行かれるそうで近江鉄道に乗られることは無いようです。

自転車と共に乗車してサイクリングを楽しむ方もおられるようですが、私がめったに利用しないためかもしれませんが、沿線にお住いの車イス利用者の方を見たことが無くバリアフリー化以外にも課題があるのかなぁと思っています。

近江鉄道平成の大合併の前に駅を「コミュニティセンター化」する動きが八日市より北側(彦根寄り)の地域で多数みられました。

🟩ここからは私が体験した近江鉄道の駅を画面上ではございますがご一緒にお訪ねいただけれる時間が持てれば嬉しく思います。

最初に切符の裏側に記載されていた路線図で駅の位置をご確認下さいね。

近江鉄道路線図(1日乗車券の裏側をおかりして紹介)

写真がピンボケですねー、こんな画像を掲載するなんて障害者だからといって甘えてるんじゃないですか!

鳥居本駅

ホームの端の階段の横にスロープ通路を設置していただきバリアフリー化、従来からある木造の趣のある駅舎にも車イスではいることができました。(2007年に利用)

鳥居本駅と従来の駅舎に行けるスロープ通路

司馬遼太郎氏の歴史小説関ケ原」を読んだところ、西軍の実質的総大将・石田三成の居城佐和山城は琵琶湖側が正門ではなく、鳥居本側に大手門があったということでしたので行ってみました。ところが城跡と思われる山に近づこうとするうちに車イスで通行できる道が無くなり、遠くから眺めるだけであきらめてしまいました。

石田三成の居城佐和山城に車イスで行こうとするのですが・・・

水口城南駅

旧東海道の宿場街だった水口の中心にある駅で、甲賀市役所などの官庁街も近くにあります。当時の写真(2006年)をみると駅近くの公衆トイレに車いす対応のものがうつっているのですが古いものですので現在状況は不明です。スロープは緩やかにするために折れ曲がって設けられていました。

水口城南駅のスロープ通路と水口城の桜

駅近くにある水口城跡にも行ってみました、後方に写っている櫓は本来の位置とは無関係なところに水口城資料館としてつくられたものです。お堀の橋を渡ることは出来たのですが、そこからは砂利と資料館へは階段があり近づくことはかないませんでした。

水口城資料館には石段がそびえる
せっかく遠くから来たのだからいれてケロ
世の中は障害者(一般の人も含めて)に対してそんなに甘くはないのだ!

この城は江戸時代にになってから将軍上洛の際に使用するためつくられたもので、石田三成と共に西軍として関ケ原に参陣した長束正家(豊臣政権の五奉行の一人)の居城・水口城は別の場所にあり、区別するため「水口岡山城跡」として史跡になっているそうです。

 

私は子供のころ「近江源氏の系譜」という本を読んで、近江鉄道沿線の城跡をいくか覚えていたので、織田信長の上洛の時に落城した「観音寺城 近江の守護大名・六角氏の居城」の支城「美作城」和田山城」、そして本能寺の変のあと.信長の一族が身を寄せた日野城などを遠くからでも良いので見に行く計画をたてたのですが、石段や山道そして出かける直前に体調を崩したりして実現しませんでした。

 

近江鉄道バリアフリーの話から、貴方の大好きな「車椅子でのお城めぐり」にテーマが変わってしまっていますョ。

すみません、話題を「近江鉄道の駅めぐり」に戻しますね。

ひこね芹川駅

一般道や住宅地からは高い位置につくられており、緩やかにするためにつづら折りに設けられた長いスロープ通路を利用することにないました。車椅子・オストメイト対応フル規格トイレがホーム上にあり男女・障害の有無に関わらず利用するようになっていました。

(2010年の利用時点で)

ひこね芹川駅 つづら折りのスロープ通路

車両とホームの段差の少なく降車時には渡し板が要らない駅を幾つか体験しました
(2010年ひこね芹川駅にて 運転手さんの介助を受けるものの渡し板は不要でした)

駅のスロープを下った後に近くの商店街でしか入手できないという、「しまさこにゃん」のぬいぐるみを見に行ったのですがお店がお休み。足じゃなく車イスをのばして、彦根城博物館にいくと運よくひこにゃんの撮影会の時間、砂利と段差の介助を係りの方と観光客の方にお願いし、ひこにゃんにあうことが出来ました。

ひこにゃん」の撮影会に間に合いました

彦根市に影響力のある有力者の方がご覧いただいていればおねげぇがございます。

舗装された通路から「ひこにゃんの撮影会」があるの彦根城博物館の縁側まではわずかな距離なのでごぜえますが、砂利が深く門に敷居があって、数人の方に介助を受けなければ車椅子のオラ達には「ひこにゃん」様にお目に掛かれません。なにと車いす利用者の願げぇをお聞きとりいただき、美観の配慮したかたちで、通路を整備していただけますよう。お願げぇいたしますだ。

なんでお代官様に農民が直訴しているような表現になるの、時代劇の見過ぎ?

義民・佐倉宗五郎さまの時代直訴は家族ぐるみの命がけだったんだよ。

 

後日、障害者団体の会合でボランティア活動をしておられる方から「しまさこにゃん」のぬいぐるみのホルダーを見せてもらいました。うらやましいよ~!

しまさこにゃん

イタリアンに行って贅沢したな!

愛知川駅

愛知川駅(2003年撮影)

愛知川では「びん細工手まり」という手まりをガラス瓶にいれる工芸品があるそうで、駅舎の写真右側にうつっています。

 

愛知川駅のホームに降りて踏切を単独で渡って改札口へ(撮影は乗客の方に依頼)

愛知川駅は2003年に訪れています。駅舎のみコミュニティセンターに先行改造されたためホームは直されないのかと 心配していましたが、しばらく後にホームのスロープ通路設置も実現しました。

愛知川駅舎(コニュニティセンター)へのスロープ通路
この写真は車窓から撮影した比較的新しいものです

近江鉄道開業当初はホームの中心部分に跨線路が設けられ、階段で反対側のホームや改札口に移動するという構造で駅を造られていたようで、バリアフリー化のためスロープを設置しようとすると、複雑な構造になり費用面の負担も大きかったのではと推測しています。

河辺の森駅

河辺の森駅は2003年開業。スロープ、 車椅子・オストメイト対応トイレを男女 別設置。駅の電力をソーラーパネルと 風力でまかなっているハイテク駅でした。
(2004年に利用)

河辺の森駅と周辺の風景

河辺いきものの森(近江鉄道河辺の森駅から車イスで訪れました)

河辺いきものの森

里山での生活が体験できる自 然公園、自然を利用した施設 なので、車椅子で通れない所 もあるのですが、ネーチャセ ンターより車椅子でも利用で きる木道が整備されていて、 車椅子で森林浴が楽しめます 。車椅子対応トイレは二ヶ所 確認、近江鉄道河辺の森駅 より著者の車椅子で20分程 度の距離でした。
(2004年に訪問 現在は状況が変わっているかもしれません



スクリーン駅

スクリーン駅は2008年春開業。スロープ通路がありホームまで車イスでたどりつけます。車いす対応トイレは改札口の外側にありました。駅名の由来になった大日本スクリーンの工場は駅の真正面。スクリーン駅には多目的トイレと男子用小便器のある二つのトイレがありました。
(2008年に利用しました)

スクリーン駅 改札を出ればすぐに事業所

 

平田駅

平田駅は相対式ホームで、2006年にスロープ通路が完成、車椅子・オストメイト対応フル規格トイレが改札口の外側にありました。駅舎も同時期に建て替えられたようです。
(2006年に利用しました)

 

平田駅  左下の写真はバリアフリー化される以前の改札口

画像データーを整理していたら、車窓からうつした「ひらた」と駅名が確認できる木造の駅舎に写真が見つかりましたので掲載しています。ホームから改札口に降る階段が設けられていたようです。 

 

多賀大社前駅

コミュニティハウスされて、外側に車椅子・オストメイト対応フル規格トイレが設けられていました。駅前に大きな鳥居があり多賀大社での参道が続いていました。2003年に訪れています。

コニュニティハウスとなった多賀大社前駅

駅の改札口奥に電車が写っていて、駅前から平坦に乗車できることがわかりますか?

多賀大社前駅のホームのようす

高宮駅から別れれる多賀線の終着駅(頭端式ホーム) 2003年撮影

多賀大社前駅の改装以前の写真を見たことがあるのですが、頭端式ホームで階段を作る必要はなく「大学前駅」同様当初から車イスでの利用が可能だったのではないかと考えています。

 

 

掲載する良い写真(圧縮した小さな画像データーはあります)がなくなりましたのでこのシリーズは一旦終了しますね。近日中に「多賀大社前」「豊郷」などに出かけられればと考えていますので、続きを掲載を続けられればと考えています。

 

長い年月をかけて、完全ではないものの、バリアフリー化した路線ですので、近江鉄道利用促進を心から願っています。

 

始めのページがらご覧いただける方はこちらから

☞車いす乗客のための近江鉄道物語 第1話

 

 

車椅子電車評論家・アシトド松井

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車いす乗客のための近江鉄道物語 第3話 近江鉄道にバリアフリーの風が吹いてきたよ

車イス利用者に好評だった「あかね号」と
運転手さんに渡し板を設置してもらったり単独乗降を試してみたり

運転手さんに渡し板を設置してもらうこともあったのですが、2両編成の後部の運転席まで走って取にいかれることも体験してしまい、これでいいのかなぁ、路線バスも含めて車いす乗客の乗降が運転手さんの加重労働の一因になってはいないのかなあ・・・

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車椅子電車評論家・アシトド松井

車いす利用者のローカル線の旅のブログを一覧表にしました、こちらもご覧板ただければ幸いです

☞車椅子で行くローカル線の旅

私が車いす利用者の仲間入りをした1990年代、最も車イスで利用しにくい公共施設といわれていた鉄道の駅。近江鉄道でもJR線からの接続駅も車いす利用者を路線に入る事さえ許さない(大勢の駅員さんに頼んで階段を担いでもらえたのかもしれませんが)跨線橋から長い階段を下ってホームへ行くという構造になっていましが、2002年にJRからの接続駅の1つ貴生川駅(JR草津線と乗り換えられる)のバリアフリー化が行われ、近江鉄道路線への車いすアクセスの可能性が高まることになります。

 

貴生川駅バリアフリー化(2002年)

その時はついにやって来た

自由通路とJR・近江鉄道信楽高原鐵道にエレベーターで
行けるようになった貴生川駅(写真は2022年撮影のものを使用しています)

 

近江八幡駅バリアフリー化(2004年)

京都・大阪方面からのJR直通列車から乗り換えが可能になり八日市方面への歩行弱者の移動が飛躍的に改善されました。

自由通路からエレベーターで来られるようになった、
近江鉄道近江八幡駅ホーム

駅にエレベーターを作れば、車椅子の彼がやって来る

トウモロコシ畑に野球場を作る映画みたいだね

車いす旅行仲間がやって来たよ(ハンドル付き電動車椅子の方も)

自分の車椅子の移動可能性を確認する、駅にエレベーターを作れば、車椅子の彼がやって来るの人たち(下の写真は八日市駅にて安全を確保した場所から撮影)

あんたは台風中継のニュースキャスター気取りか!

自分の車いすで駅員さんの介助を受けずに乗降できるのか
車内でどこまで移動できるのか試してみる

「車椅子で無人駅を利用できるのか?」

という質問をうけることがありますが、このような一般論ではなく、どこの鉄道のなんという駅は自分の車いすの形態(特に前輪の大きさ)・障害のレベル(キャスターが上げられるかどうか)なら単独で乗降が出来るのかという条件を絞り込んだ上での質問で無いと的確な回答は不可能だと思っています。

階段しかない駅は別として少なくとも頻繁に利用される駅については、安全を確保が出来たり介助者が得られたときに自分の車椅子の性能と残存能力で列車への単独乗降が出来るのかどうかは試しておかれても良いのではと考えています。

 

最近になって近江鉄道近江八幡駅ホームを細かく見まわすと

ホームの端に(いつの間にか)
車椅子・オストメイト対応フル規格トイレが設置されていました

近江鉄道近江八幡駅の改札口はエレベーターから降りてすぐの所にあり、電車の扉も目前に来るので何気なく乗車してしまっていて。ホームの端にトイレがあることすら2023年になるまで気が付きませんでした、申し訳ありません。

🟥八幡掘り(近江八幡の観光地)

八幡掘り(時代劇の撮影でよく使われる所です)

八幡掘り近くまで近江八幡駅北口側から車いす対応バスで行けたのですが、2022年の段階で車いす対応バスでないバスも多く運行されており、また八幡掘りの最寄りのバス停は整備状況が悪く安全に昇降するためには少し離れたバス停を利用した方が良いなど事前の情報収集が必要ではないかと感じました。八幡掘りを渡る橋の日牟禮八幡宮鳥居前の白雲館1階に車椅子・オストメイト対応フル規格トイレがありました。

 

彦根駅バリアフリー化(2006年)

彦根駅(西口側) 2022年撮影

彦根駅は2006年に西側からのエレベーターがJR線・近江鉄道線共に完成し、バリアフリー化され車椅子で利用できるようになりました。

車いす利用者のための彦根駅構内図

車いす利用者のための彦根駅構内図は一般の駅構内図と同じ内容になりその役割を終えました。

そう思うならバリアフリー化後の構内図改訂版をつくるなょ!

その後、東西を結ぶエレベーターのある自由通路がつくられました。

彦根駅、東西自由通路 (近江鉄道ホームより2022年撮影)

 

🟫彦根城周辺を車イスでめぐりました

彦根城天守にはたどり着けませんが周辺の散策を楽しみましょう

詳細は下記のをクリックしてご覧いただければ幸いです。

☞車椅子で彦根城(滋賀県)をめぐってみました。

 

米原駅の移転とバリアフリー化(2007年)

場所を移転しバリアフリ化―された近江鉄道米原駅(2007年撮影)
緑の☐は上りスロープ手前の車いす対応トイレ

隣接するJR米原駅では輸送量の減少にともない駅の縮小化工事が行われ、西口駅舎の移動・荷物用エレベーターや線路の撤収作業が進み、当初は駅舎が一体だった近江鉄道米原駅とはロータリーを挟んで分離される状態がしばらく続くことになります。

JR米原駅のエレベーター設置によるバリアフリー化は2009年春に完成するのですが、それに先立ち2009年までに、近江鉄道の路線をJRの駅に寄せる工事が完成、近江鉄道米原駅は地上駅となりスロープ通路も設けられ車椅子やベビーカーで利用できるようになりました。

JRの駅と分離されていた当時の近江鉄道米原駅

昔ながらの駅舎が駅前ロータリーでJRの駅と隔てられています

以前の近江鉄道米原駅が階段を上って改札口へ、そこから階段をくだってホー降りるといういう起伏にとんだ構造であったことが想像していただけるでしょうか。正面の白っぽい階段はJR米原駅と分離された時に新しく設けられたものです。

 

🟨JR米原駅の状況(2004年~2009年)

JR米原駅は2009年に新幹線を含む全てのホームにエレベーターが設置され、バリアフリー化が実現するのですが、それに先行して2004年までに在来線ホームの階段だった業務用通路をスロープ化していただき車椅子での利用が可能になりました。

一般乗客の使わない特別な通路ですので駅員さんによる誘導・介助が必要でした。

JR米原駅のスロープ通路と運転開始間近のJR米原駅西口側エレベータ―

引き続き「車いす乗客のための近江鉄道物語」をお楽しみいただければ幸いです。

☞近江鉄道物語 第4話 新駅の開業と既存駅のコミュニティセンター化

始めのページがらご覧いただける方はこちらから

☞車いす乗客のための近江鉄道物語 第1話

 

 

車椅子電車評論家・アシトド松井

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車いす乗客のための近江鉄道物語 第2話 長い階段があるJR線接続駅をあきらめ他の乗車可能な駅を探し求める

貨物輸送が行われていた頃の名残と日常生活が交錯するかつての風景

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車椅子電車評論家・アシトド松井

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☞車椅子で行くローカル線の旅

私が車いす利用者の仲間入りをした1990年代、最も車イスで利用しにくい公共施設といわれていた鉄道の駅。そして近江鉄道のJR線からの接続駅は電動車いす鉄道旅行の専門家に説明いただいたとおり、その路線に入る事さえ許さない(大勢の駅員さんに頼んで階段を担いでもらたのかもりれませんが)跨線橋から長い階段を下ってホームへ行くという構造になっていました。

 

🟡階段をかついでもらわずに電車に乗れる駅を探して

近江鉄道の階段のみのJR線からもっとも手動車椅子でたどり着はそうだったのが、近江八幡駅の次の武佐駅でした。若くて上肢が動かせたので車椅子はこげたのですが、坂は少なかったものの、距離が長い。途中の鎮守の森でしばらく休憩ののちたどり着いた武佐駅は階段のみ。目の前で電車を見送り、再び手動車椅子をこいで近江八幡駅にもどりました。

いいリハビリしてますねぇ

ようやくたどり着いた武佐駅でも階段で阻まれてしまいます

その後、新聞で武佐駅バリアフリー化されたと報じられスロープ通路の写真も載せられていたので、再度訪れてみると・・・

バリアフリー化されたとの新聞報道がなされた武佐駅

バリアフリー化されたのは、八日市方面側のホームのみ、踏切をわたっていろいろな方向から確認したのですが、近江八幡方面側ホームには階段しかありませんでした。誤報とかフェイクニュースとかはいわないけわど、これを「駅バリアフリー化」と言っちゃおしまいょ。

🟢ようやく車いす近江鉄道に乗ることが出来ました(1996年)

1️⃣市辺駅(旧駅舎)にスロープ通路を見つけました

自動車に乗せてもらって八日市方面へ、車窓から市辺駅の古い駅舎をながめていると「車いす通路」の案内板が。まもなく豊郷駅バリアフリー化さわたので、近江鉄道の電車に乗って別の駅に階段に阻まれることなく移動できることを体験したくて、豊郷駅まで自動車で送ってもらい、市辺駅まで電車に乗ったあと自動車で迎えにきてもらうという方法で車いす生活になってから初めての近江鉄道乗車体験ができました。

調べた範囲で近江鉄道で初めて車椅子に配慮した通路を設置した駅は市辺駅でした

市辺駅を車イスで利用してみました(1996年)

その後の市辺駅は相対式ホームにかわりバリアフリー化されます(2000年に確認)

車窓から市辺駅を撮影(2023年)
2000年に車いす仲間と市辺駅を利用しました

2⃣本格的にバリアフリー化にされた豊郷駅

豊郷駅(送迎を頼んだ介助者が1996年撮影)

横に写っているのは東海道新幹線の高架です。ここに駅があれば便利なのに

新幹線の高速鉄道としての存在価値を失わせるつもりか!

 

あとは圧縮したかとの小さな写真しか見つかりませんでした。

豊郷駅とスロープ通路(上の写真は2003年撮影のものです)

🟫車椅子利用者のための滋賀地域鉄道地図近江鉄道路線を加えることができました。

2つの駅が見つかり点が線になったので、ようやく車椅子利用者のための滋賀地域鉄道地図近江鉄道を加えることができました。

それってJR沿線側から見た勝手な地図じゃないの?

滋賀地域鉄道地図
(2000年発行の車いす障害者団機関誌より)

私が作って掲載してもらっておいて詳細がわからなくなっているのですが、八日市駅は1998年エレベーターが設置・バリアフリー化されその情報も書き加えられています。機関誌が発行された2000年の時点ではJR線からの接続は階段を担いでもらう以外、近江鉄道に乗り換える方法はなく。2002年の貴生川駅のエレベーター設置によるバリアフリー化を待つことになります。

🟣八日市駅バリアフリー化されました(1998年)

近江鉄道の主要駅としては1998年に八日市駅にエレベーターが設置され、バリアフリー化されました。車いす対応トイレは改札口の外側に設けられました。

エレベーターが設置されバリアフリーが実現した八日市駅

バリアフリー化される以前の八日市駅は外から改札口そして貴生川方面ホームには平坦に移動できたものの、向かい側のホーム(近江八幡米原方面)に行くためには階段をつかって跨線路(踏切のような通路)を渡る必要がありました。

バリアフリー化される以前の八日市駅(1995年撮影)

私は古い木造の駅舎も大好きな困った鉄道マニアで、幼いころから半世紀ぶりに訪れた八日市駅・旧駅舎を感慨深げに眺めていました。

古い駅舎を保存する保守派と、バリアフリーを推進する急進派のどちらを選ぶのじゃ~ 

この期におよんで中立はゆるされませぬぞ!

八日市駅バリアフリー化されたので近くにある(といっても歩道が整理されていない場所もあり車イスでの移動は大変でした)世界凧博物館東近江大凧会館に行ってきました。

🟫世界凧博物館東近江大凧会館

世界凧博物館東近江大凧会館(2回目の訪問時2022年に撮影)

 

引き続きをクリックして第3話をお楽しみいただければ幸いです。

☞第3話 近江鉄道にバリアフリーの風が吹いてきたよ

始めのページがらご覧いただける方はこちらから

☞車いす乗客のための近江鉄道物語 第1話

突然ですがこんな画像データーが見つかりました

この写真はなんですか?  どっかから紛れ込んだみたいですね

首都機能が移転されるとなれば当然近くに空港が必要ですので

空港建設促進をよびかける表示と建設予定地の最寄り駅の現状

このような案件をの蒸し返すような掲載していたら、ひどい目にあわされるかもしれませんよ!

とっくに決着済みの話じゃないですか。

でも近江鉄道が空港直結になったら駅エレベーター設置はもちろん

直通特急が運行されたりして便利になるなぁと思って・・・

 

というわけで首都機能移転について今回の

特典画像

滋賀県に首都機能があった大津宮時代の近江鉄道沿線で)

八日市駅外壁に飾られた蒲生野遊猟の図と万葉の森への案内表示(2023年撮影)

担当のヘルパーさんと少女漫画「天上の虹」の額田王の話題になり、その方の壁画が八日市駅にかかげらていたことを思い出し、写真を見せて媚びを売りました。

あかねさす紫野逝き標野行き 野守は見ずや君が袖振る

 

こちらは近江鉄道沿線ではありませんが、JR大津京駅(エレベーター完備)近くにある大津宮に関連するところをご紹介しますね。

大津宮跡と壬申の乱にやぶれた大友皇子弘文天皇)の御陵

 

滋賀県(畿央地域)に首都機能を移し「近江朝廷」の復活を願っているのか?

近江朝廷とは天智天皇大友皇子の時代の政権だそうです 詳しくは日本書紀で研究してくださいね

 

歴史の勉強もしている知的障害者

車椅子電車評論家・アシトド松井

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車いす乗客のための近江鉄道物語 第1話 JR線からの乗り継ぎを試みるのですが・・・

近江鉄道図鑑なんだけど、以前は車椅子で利用できた駅が
使えなくなったの何でだろう?

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車椅子電車評論家・アシトド松井

車いす利用者のローカル線の旅のブログを一覧表にしました、こちらもご覧板ただければ幸いです

☞車椅子で行くローカル線の旅

近江鉄道についてはこちらのブログもご覧くださいね

☞車椅子でゆく近江鉄道・信楽高原鐵道の旅(2022年)

 

私が車いす利用者の仲間入りをした当時、最も車イスで利用しにくい公共施設といわれていた鉄道の駅を、1992年から荷物・業務用エレベーターや車いす用につくられたスロープ通路を探し出しては電車への乗車を試みて、車椅子障害者団体の機関誌の編集を任されていたという立場を乱用し、行事等の記事は会長に押し付けて「車椅子での鉄道旅行情報」ばかりを掲載するという暴挙に及んでいました。

 

そのようなことをしていると1993年に、電動車椅子での公共交通機関利用旅行のさきがけで第一人者(だれに聞いてもそういうからの多分間違いないと思う)の「駅の点検士」注意・公的な資格ではなさそうですの方とお会いする機会があり近江鉄道に関して次のようなお話を伺うことができました。

1993年時点での近江鉄道の状況は

①中小の地方私鉄で近江鉄道が最も車イスでの利用が困難だった、路面区間のある福井鉄道でも武生から乗ることが出来る。(当時は車両とホームの段差はあるのが当たり前で車いすアクセス情報発信の際にも考慮していませんでした)

②JRとの接続駅すべてが階段を利用しなければホームにたどり着けない。

③1991年開業の新駅京セラ前駅にも車イスへの配慮はなされず、階段のみであった。

京セラ駅(1996年に撮影)



近江鉄道とJRとの接続駅は4つもあり、そのうちのJR2駅(JR彦根駅とJR近江八幡駅)には車いす用のスロープ通路が設けられていることを、知っていたので私には信じがたい情報でした。

翌年(1994年)には下記のような記事を目の当たりにします。

1994年発行の障害者の情報誌に掲載されたショッキングな記事

こうなったら自らの車椅子で行ってみるしかない、階段を担いでもらうことを好まなかった私の近江鉄道利用までの長い旅が始まります。

 

🟩車椅子利用者の立場からの近江鉄道の話を始める前に

最初に路線図(運賃表)をご覧いただきます。バリアフリーの概念が浸透してからできた駅もいくつかあります。赤い☐がJR線との接続駅、そして緑の☐(八日市駅近江鉄道の中心となる駅です。

近江鉄道路線図(運賃表をおかりして紹介)

私は近江鉄道の開業当時から変わっていないと思われる駅も多く見てきました。基本的には反対側のホームに行くには階段をつかって跨線路(踏切)を渡る構造になっていました。このことが低予算でのスロープ化を難しくしているのではないかと感じています。(両毛鉄道や今は高架になってしまいましたがJR阪和線天王寺側は開業当初からスロープ状のホームをつくられていたのではないかと推測しています)

階段をつかって跨線路を渡るのが近江鉄道のホームの本来の構造です
写真は彦根市にある高宮駅(2022年撮影)

 

JR線との接続駅を調べてみると

近江鉄道とJR接続4駅のうちJR彦根駅とJR近江八幡駅には車いす用線路横断型スロープ通路が設置されていることを知っていましたので先ずその2つの駅から近江鉄道のホームを目指すのですが。

1️⃣車イスで彦根駅に行ってみると(1993年)

JR彦根駅スロープ通路から近江鉄道ホームへは行けませんでした(1993年撮影)

 

🟠彦根駅構内図・車いす用をつくってみました

車いす利用体験に基づいて 彦根駅構内図をつくりました

駅には自由通路は設けられておらず、JR京都方面行きホームから近江鉄道のホームをのぞきこむと、跨線橋からの長い階段を利用できなければたどり着くことができないことが確認できました。(上の構内図の左下の写真参照)

 

2️⃣車イスで近江八幡駅に行ってみると

(1993年頃だと思われますが詳細な年月がわからなくなっています)

JR近江八幡車いす用スロープ通路と階段のみの近江鉄道の駅(写真左側)

写真の手前に車いす専用(ベビーカーでの利用者は見たことがありません)スロープ通路と踏切があります。左端に跨線橋から近江鉄道線ホームをむすぶ階段(裏側)が確認できます。

この写真はネガフイルムをデジタルデーター化したものですので、撮影の日付は分からなかったのですが、1993年前後のものだと思われます。

 

🟡近江八幡駅構内図・車いす用をつくってみました

車いす用の近江八幡駅構内図もつくりました(2000年になってから作成)

上の近江八幡駅構内図は2000年に南北自由通路にエレベーターが設置された時に作成したものですが、この時点でも車いす利用者はJR線からは北口側にしか出られず、自動車の交通量の多い米原方面の踏切に迂回しなければ南側に行くことは出来ませんでした。

どうしても近江鉄道に乗ってみたかった私は手動車椅子単独で、この一般道の踏切を渡って次の武佐駅の様子を見に行くことになります。

 

3️⃣車イスで米原駅に行ってみると(1994年)

JR米原駅在来線ホームには巨大な荷物用エレベーターを見つけていたのですが、昭和の終わりに電源が切られてしまい利用できないとのことでした。

JR米原駅・在来線ホームの荷物用エレベーターはすでに
電源が落とされていました(1994年撮影)

仕方がなく駅員さんに跨線橋の階段を担ぎ上げてもらったのですが、米原駅は複雑な構造で、近江鉄道側の公道にでるためには、跨線橋から階段を担ぎ降ろしてもらって、さらに地下通路への階段を担いでもらってようやく改札口にたどり着くことができました。

「階段を担いでもらうことを好まなかった」と言っておきながら、いっぱい駅員さんに負担をかけてるじゃないの?

地下道を抜けて改札口へ  近江鉄道線乗り場へはさらに階段が

仕事でご一緒した方が鉄道友の会の会員さんで、硬券が使われている鉄道路線は珍しいので乗車すると話されていたので、近江鉄道米原駅の状況を写真をうつしてもらえるよう依頼しました。

階段を上がったあと改札口を通りホームに降る階段があるという起伏にとんだ構造の駅で、このような駅を利用す車いすユーザーがいるのかと感じました。

おまえならならやりかねん!

4⃣車イスで貴生川駅にも行きました(1994年)

貴生川駅(JR草津線)は2002年に接続4駅のなかで最も早くバリアフリー化され、近江鉄道信楽高原鐵道へのホームにもエレベーター移動できることとなり、この駅を経由して私の近江鉄道車椅子の旅は飛躍的に進むことになります。1994年撮影のネガフィルムが見つかりましたのでデジタル化してご紹介いたします。

バリアフリー化以前の貴生川駅(JR側・南出口から1994年撮影)

バリアフリー化以前の貴生川駅はJR草津方面と信楽高原鐵道との共用ホームの壁側面に南出口側に出られる扉(施錠されていました)があり、貴生川駅で折り返す列車に乗れば橋上改札口(階段の上にありました)を通らずに一般道に出ることができました。

扉近くの構内にあった車いす対応トイレも施錠されていて、便座にはビニール袋が被せられその上から蜘蛛の巣が張っていて使われた形跡を感じませんでした。

貴生川駅ホームの壁面の外部への扉と車いす対応トイレ(1996年撮影)
当時の貴生川駅の写真はこれだけしか見つかりませんでした

 

近江鉄道は反対の北側にあり、当時使用していた手動車椅子ではたどり着けませんでした。(先行してバリアフリ化された市辺駅から、2000年に車椅子ユーザー2名と介助者1人の取材チームを結成して貴生川駅まで乗車、同じホームから乗ってきた電車で折り返すのですが跨線橋から階段を下ってホーム手前の改札口に行く構造でした)

 

引き続き下のをクリックして、第2話をお楽しみいただければ幸いです。

☞車いす乗客のための近江鉄道物語 第2話

 

今回ご紹介した近江鉄道とJR線との接続4駅は、現在(2023年)すべてバリアフリー化されており、今となってはすべて昔のお話です。

 

車椅子電車評論家・アシトド松井

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車いす利用者のための新幹線車両図鑑・初代0系と100系(東海道・山陽新幹線で運行されていました) 2023年改訂版

100系車いす生活になってから初めて乗った新幹線車両でした

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車椅子電車評論家・アシトド松井(オストメイト兼任障害者)

車いす利用者のための新幹線関係のブログを一覧表にしました、こちらからもご覧板ただければ幸いです

☞車椅子で新幹線に乗る 

 

2022年に車椅子に乗ったまま客室にはいることを前提とした車いすスペース(座席を取り外したフリースぺース)のある新幹線に乗車することができ、日本の新幹線もついにその段階に来たのか(外国の新幹線車両では以前から車椅子に乗ったまま客室にはいれるスペースが確認されていました)と感動しました。

 

そこで以前アシトドのHPで作成していた「車椅子旅行者のための新幹線車両図鑑」の改訂版をつくることにしました。従来のHPは下記の☞をクリックしてご来意下さいね。

☞車椅子旅行者のための新幹線車両図鑑001(東海道・山陽新幹線)

☞新幹線で車椅子旅行するための車両図鑑002(東日本編)/つばめの情報有り

 

このブログでは「ひかり号」「こだま号」として活躍した0系と100系新幹線をバリアフリーという視点からご紹介いたします。

 

0系・100系新幹線はオストメイト対応トイレが日本に存在していない時代の新幹線車両ですので車いすユーザーの視点からのみのバリアフリー情報になります。0系・100系新幹線はすでに営業運転を終えていますが、東海道山陽新幹線でこのような車両が運行されていたのだ程度にご覧いただければ幸いです。

 

🟩100系新幹線

1️⃣東海道新幹線にて車椅子で乗りました

東海道新幹線100系に車椅子で乗車します

🟠100系新幹線がホームに停車しているようす

❶東京駅で出発時刻を待つ

左側に写っている業務用エレベーターが車椅子ユーザーをホームへと運んでくれていました。

東京駅で出発時刻を待つ新幹線(1995年撮影)

米原駅で降りてみたら業務用エレベーターもなく、エスカレーターは途中から階段に!

米原駅滋賀県)に停車中の100系新幹線(1994年撮影)

少なくとも新幹線のホーム(同じ駅の在来線ホームは除く)からは、業務用エレベーターかエスカレーターがあり、階段を担いでもらわずに利用出来るのではないか、と思っていた私の「夢想」を完璧に叩き崩し、「車いすでの新幹線旅行」もバリアフリーでは無いことを教えてくれた最初の新幹線停車駅が米原駅でした。

なお京都・新大阪方面ホームにのみ業務用のひっそりとした通路があり、外部の公道に出ることが可能でした。

米原駅新幹線ホームへの業務用ルート

100系新幹線の個室はベットとしても使えました。私が個室を出ると入れ替わりに「鉄道警察隊」の方数名が着替えのため入ってこられたこともあり、乗客のためだけではない。多目的な室でした。

100系新幹線の車いす対応車両案内図(著者が作成)

🔴の所にゴミ入れがあり、多目的室内の座席に乗り移らず壁にもたれてウトウトしていると、ごみ入れの閉まる衝撃音で度々おこされてしまいました。

🟢100系新幹線・車いす対応座席

100系新幹線の車いす対応座席の横にいました

画像が荒くてすみません、このようなデーターしかみつけられませんでした。

この100系新幹線は座席が固定式でした

座席が固定式の100系新幹線に乗車しました。進行方向にあわせて座席の向きを変えることが出来ず、写真手前の車椅子の乗客の座席と、右側の座席の向きが逆方向に固定されていることがお分かりいただけるでしょうか。

100系新幹線には食堂車がある編成も

新幹線の食堂内に入るための細い通路に細身の車椅子の方が入って行かれたので驚いてしまいました。

🔵100系新幹線・車いす対応座席

多目的室で座席に乗り移る状態の良い方も

車掌室を多目的室に転用したものだと、うかがっています。

🟣100系新幹線・車いす対応トイレ

脊髄損傷の仲間にきくと使いやすいトイレの形態だったようです

 

2️⃣100系新幹線に車椅子で山陽新幹線にて乗りました

山陽新幹線100系に車椅子で乗車します

🟡100系新幹線車両とホームの段差に注目

新下関駅に停車中の100系新幹線

こちらも何度も同じ写真をご覧いただき申し訳ありません、100系新幹線がホームと車両の段差そしてすき間(カーブ状にある駅のホームは例外)が少なく、車椅子での単独乗降が可能だったことをお分かりいただければ幸いです。

🟠100系新幹線の車いす対応座席

山陽新幹線として運行されていた100系新幹線の車いす対応座席

私の体験した範囲では山陽新幹線100系は普通車でも一列4席(東海道新幹線は5席)に改装されており、ゆとりのある座席になっていました。そのうち1座席を取り外した車いす対応座席は2台分、車いす固定のヒモがあるのは1席のみ、グレードの高い座席のアームレスト(ひじ当て)は固定式、両足のそろっていてまだ運動機能の高かった当時の著者の残存機能をもってしても座席に乗り移ることは出来ませんでした。

🟣100系新幹線多目的室の案内表示

多目的室の案内表示

多目的室には体の不自由方を優先するとの表示はありませんでした。施錠されており短時間の乗車で車掌さんも来られず、内部の状況は確認できませんでした。

🟤100系新幹線・車いす対応トイレ

100系新幹線の車いす対応トイレ

こちはら東海道新幹線車いす乗車体験した100系と全く変わっていませんでした。

 

🟦初代新幹線0系

に車椅子で乗車したのは一度だけでした

今となってはとにかく画像データー(当時はネガフイルム)も車いす乗車体験も少なく、いっぱい走っていたのにもっと乗車しておけば良かったと後悔しております。

🟣0系新幹線の先頭部分が写った貴重なお写真

近くに鉄道博物館があるのだからそこで写してきたらいいじゃん?

そんなことは車いす鉄道マニアのプライドが許さないのだ!

東海道新幹線の0系

東京駅で出発時刻を待つ新幹線0系(1993年撮影)

写真右側には当時の新幹線ホームへの唯一の車椅子ルート、業務用エレベーターが写っています。

山陽新幹線の0系

山陽新幹線に走っていた0系新幹線・最後の塗装は東海道新幹線当時のものに

🟠導入当初・新幹線のデッキに設けられていた冷水器

私が車いす生活になってから0系新幹線に乗ったのは一度だけ、突然思い立って改札にで申し出たのですが、荷物用エレベーターでホームにあげてもらってスムーズに車内に案内じて下さいました。0系も車両とホームの段差がなく自力で車内で(当時は渡し板はありませんでした)、幅の広い扉の車両に案内されたのですが車いす乗客用に拡げられた扉ではなく、食堂車や車内販売用の物品搬入用の扉でした。

当時の新幹線はデッキには冷房が入っておらず、自由席の車内の通路で涼をとろうと試みたのですが自動ドアがすぐにしまい車椅子が挟まれてしまって、デッキの前でおとなしくしている以外に、車内での居場所はありませんでした。

目の前に子供のころ開業したばかりの東海道新幹線で冷たい水が飲めるというので、度々足を運んだ(中途障害の私は子供のころは足が機能していた)冷水器が残つていました。多目的室・車いす対応トイレは見つけられずバリアフリー関連の情報は得れませんでした。

ただ一度だけ乗車できた0系新幹線車いすスペース?(居場所)は
懐かしい冷水器前のデッキでした

0系新幹線にも段差がなかったぞ~! 300系から車いす単独で乗れなくなったんだ

過ぎ去った昔のことをいつまでもねにもつやつじゃ・・・

 

🟤私が0系新幹線にも車いすに配慮した車両が存在したと考えている理由

①鉄道情報雑誌に0系新幹線車いす対応についての記事をみた覚えがあること

山陽新幹線で運行されていた0系新幹線車いす対応車両の写真を見せていただいたことがあること。設備の内容は山陽新幹線で体験した100系新幹線と同じでした。

いずれも私自身が確認したものでは無いのでこの程度の紹介にとどめておきます。

自分で乗車体験した記事で無けれは車いす鉄道マニアのプライドが許さないのだ!

そんなことにこだわっているから視聴率?が上がらないのじゃないの?

0系新幹線最後の4両編成(下関近くで在来線車窓から撮影)

 

山陽新幹線 車両編成のご案内(博多駅にて撮影)

車両のイラストから考えて「のぞみ」は500系・「ひかり」は300系・レーススターは700系・「こだま」6両編成は100系ではなかったかと記憶の糸をたぐり寄せています。山陽新幹線で運行を終える直前の0系新幹線車両は4両編成でしたので、「ご案内」一番下に描かれているのは0系で車いす対応車両は3号車ではなかったのかと推測しています。

 

博多南方面の表示に気づき、この区間なら新幹線車両に格安に乗車できるのにと思った方がおられましたら。あなたは立派な鉄道マニア、鉄っちゃん鉄子さんですよ

 

新幹線ホームなら必ず業務用エレベーターがあるはずと油断してでかけて、階段を担ぎ降ろしていただき駅員さんにご迷惑をおかけした。見切り発車の専門家?

 

車椅子電車評論家・アシトド松井

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車イス利用者のための新幹線車両図鑑・初代のぞみ 300系(東海道・山陽新幹線で運行されていました) 2023年改訂版

初代「のぞみ」として運行された300系新幹線に車いすで乗ってみる

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車椅子電車評論家・アシトド松井(オストメイト兼任障害者)

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☞車椅子で新幹線に乗る 

 

2022年に車椅子に乗ったまま客室にはいることを前提とした車いすスペース(座席を取り外したフリースぺース)のある新幹線に乗車することができ、日本の新幹線もついにその段階に来たのか(外国の新幹線車両では以前から車椅子に乗ったまま客室にはいれるスペースが確認されていました)と感動しました。

 

そこで以前アシトドのHPで作成していた「車椅子旅行者のための新幹線車両図鑑」の改訂版をつくることにしました。従来のHPは下記の☞をクリックしてご覧くださいね。

☞車椅子旅行者のための新幹線車両図鑑001(東海道・山陽新幹線)

☞新幹線で車椅子旅行するための車両図鑑002(東日本編)/つばめの情報有り

 

このブログでは初代「のぞみ」300系新幹線をバリアフリーという視点からご紹介いたします。

 

300系新幹線はオストメイト対応トイレが日本に存在していない時代の新幹線車両ですので車いすユーザーの視点からのみのバリアフリー情報になります。300系新幹線はすでに営業運転を終えていますが、東海道山陽新幹線でこのような車両が運行されていたのだ程度にご覧いただければ幸いです。

 

🟠初代「のそみ」300系新幹線

300系新幹線「のぞみ」

❶以前の新幹線車両より段差が大きくなったみたい

新幹線への車いす単独乗降不可能時代の幕開けだったの? 300系新幹線

①東京駅に停車中の300系新幹線(1993年撮影)

新下関駅に停車中の100系新幹線(2007年撮影)

東京駅のホームがカーブ状にあり車体が傾いているという条件を考慮しても、300系新幹線の車両とホームの段差が大きいことに気づいていただけるでしょうか。私を含めた複数の新幹線を利用した車椅子ユーザーの意見もそうでした。

 

🟡テレビの取材クルーと共に体験乗車

1994年そのような状況を車いす障害者団体の会長がマスコミに持ち掛けたところ、報道番組が興味を示して下され、手動車いす4名・取材チーム3名(レポーター・カメラマン・音声担当さん)・介助者2名と関係者家族3名で合同クルーを結成、JR東海さんにもご協力いただき。300系のぞみ号への車いすでの乗車体験取材が実現しました。

300系新幹線のぞみ号に車いす乗車体験するためホーム上で打ち合わせ

京都駅に集結した300系新幹線体験 マスコミと車椅子ユーザー・介護者の合同取材クルー

300系新幹線のぞみ号のホームと車両の段差を取材しました

300系新幹線「のぞみ」3への車椅子での乗降撮影の様子をさらに撮影

同じ写真ばかり掲載してすみません。300系新幹線の段差のようす、取材カメラの邪魔にならないように乗車介助していただいた駅員さん、そして大勢で車いす4台を含む取材クルーを出迎えてくださった客室乗務員さんが写っています。

私の経験では、1994年時点で在来線のステップのある車両に木製の板を渡してもらった程度の体験しかなく、新幹線ホームに渡し板はありませんでした。

❷車椅子から座席に乗り移ってみます

新幹線車いすスペースの当初想定されていたと思われる正しい使い方?

300系新幹線・多目的室と多目的トイレの様子を体験

アシトドのホームページをつくっていた1990年代後半.通信速度が大変遅く、大きな画像データを載せるのは、困難でした。その当時の小さな写真も紹介していますので、お見苦しい点はご容赦下さいね。

 

取材旅行の1年前1993年に撮影した大きな写真(ネガフィルム)が残っていましたので、デジタルデーター化してご紹介します。

🔴300系新幹線・多目的室

300系新幹線・多目的室

当時の私は手動車椅子を利用していてさほど問題は感じなかったのですが、100系・200系新幹線の多目的室にくらべて、大型の電動車いすユーザーにとっては使いにくいという意見を何人からかおうかがいしました。

「電動」と「手動」を切り替えるタイプもある軽量型電動車イス(簡易電動車イス)はまだ開発されておらず、電動車椅子は大きな物でした。

300系500系の多目的室は富士山・浜名湖とは反対側にあり、山陽新幹線に入ると山側を通るため瀬戸内海も見えず、車窓からの風景が楽しめませんでした。

 

🟣300系新幹線・車いす対応トイレ

おむつ交換シートの有無が確認できませんでしたので、このように表記しました。オストメイト対応もありませんでした。

300系新幹線・多目的トイレ

私自身はオストメイトなので便座に移動する必要はなく実体験はないのですが、脊髄損傷の仲間に言わせると移乗しにくい形態だったようで「100系」が良かったという意見がよせられました。

 

300系新幹線をなつかしむ鉄道ファンや車両開発担当者等の方には申し訳ございませんが、車椅子ユーザーの立場からはあまり良い内容の記事は書けませんでした。

 

すべての歩行弱者に鉄道旅行のきびしさを教えてくれた300系新幹線に感謝し、懐かしくふりかえる、。

お前はかわりものか!

車椅子電車評論家・アシトド松井

 

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