アシカなくてもトドまらず

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駅にエレベーターがなかった頃 車いす生活になったばかりの私は東京・山手線の電車に乗りたかった

東京駅の業務用通路・エレベーター(1993年頃)

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車椅子電車評論家・アシトド松井

 

このブログの記事は1990年代の首都圏JRの駅のバリアフリー状況の回顧録です

 

1992年、脊損レベルで自動車の運転が出来るにもかかわらず、電車に乗って出かけたがる乗り鉄車いすユーザーの私は、乗れる所まで電車に乗って車窓から写真を撮りまくるという独自取材と、鉄道バリアフリー研究家(本人はの点検士と称しておられた)から近畿圏のほぼ全域の駅の業務荷物用エレベーター・エスカレーター・車椅子用スロープ通路の情報提供を受けたことをきっかけに、京阪神エリアに不便と迂回を強いられながらも自動車を併用することで車いすで利用できる駅から‘鉄道で出かける、「自動車を自ら運転してしか外出しない」脊髄損傷者レベルの身体障害者仲間からは、全く変人あつかいを受ける移動生活をおくようになっていました。

翌1993年仕事の関係で、千葉県船橋市で暮らすことになり.体日には首都圏の車いすアクセス状況体験旅行が出来るのでは、と駅の点検士氏に訪ねてみると.「東京の状況は悲惨」「山手線には東京駅という入口はあっても出口はない」とのアドバイスがありましたが、東京には都会だからもっと便利な街になっているんだと妄想していた私には、にわかには信じられませんでした。

 

最初に私が千葉県船橋市で暮らした3年後にいただいた東京の車いす鉄道利用を呼びかける団体(アクセス東京)作成のJR山手線のエレベーター・エスカレーター等の設置情報のチラシ「アクセス情報」をご紹介します。

山手線「アクセス情報」1996年発行

山手線「アクセス情報」1996年発行からは.以外のようなことが、読み取れると考えます。

①山手線で業務用エレベーターがある駅は、東京駅のみであること。

②1993年に大同工業さんがJR東日本さんと共同開発・八王子駅て“運行実験を行われたエスカルが、新橋・五反田駅などで設置され.バリアフリー化がおこなわれ、工レベーターが設置されるまでの長い期間、山手線駅ホームへの車椅子乗車の重要なアクセス手段になってゆくこと。

なおエスカルは関西のJR(西日本)の駅では確認できず、阪急電車が積極的に導入されていました。

エスカルとはどのような昇降装置なのか参考にご覧ください

エスカル(車いす用階段昇降機) 阪急烏丸駅にて1995年撮影

 

 

③1993年に確認できなかった(車窓からなので見落としがあったかもしれませんが)エスカレーターの設置が新宿・池袋などで行われていること。

 

東京のJR(私鉄も含めて)ではエレベーターの設置されている駅はほとんど見つかりませんでした。(1993年前後の状況を説明)

1996年体験のJR新橋駅のエスカル

①1996年に体験したJR新橋駅エスカルエスカルは階段側面のレールにそって移動する籠型の昇降機で、一般乗客用エレベーターが設置されるまでの山手線周辺エリアで設置に時間がかかるなど不便ながらも車椅子の鉄道利用に大きく貢献します。

JR吉祥寺駅車いす対応エスカレーター
(画像を明快にするため一部加工してのご紹介です)

②1997年JR中央線・吉祥寺駅にもうけられた車椅子対応エスカレーター(数段が平らになり車椅子を乗せられる)を体験しに出かけたのですが、車いすユーザー5人で訪れたので切り替えるとすごく時間がかかるため、こちらから駅員さんに申しでて段のある通常の運転モードで対応していただきました。それじゃダメじゃん

 

JR町田駅車いす用エレベーター

③以前からJR町田駅には駅事務所のなかロッカールームの奥に車いす専用エレベーターが設けられていました。JRの駅ホームにエレベーターでたどり着けることは当時としては奇跡的なことで、関西の障害者団体が視察に行ったりしていました。なお私は1993年にJR桜木町駅横浜市)でも車いす専用エレベーターを体験しています。

 

このブログでは1993年、私が首都圏(千葉県船橋市が起点)をめぐつて知りえた範囲の当時の駅バリアフリー(といえるものではなかった)の状況を、回顧録としてご紹介できればと思います。

1990年代初頭車椅子でもっとも利用困難な公共施設といわれた鉄道の駅の階段を担ぎ上げてもらうことなく鉄道旅行をこころみた、車いす生活になりたて障害者の愛と涙の鉄道旅行記をお楽しみいただければ幸いです。

また訳の分からん大げさな話になってきたよ!

 

➊東京駅(1993年前後)の状況

(新幹線から山手線へ)

東京駅・東海道新幹線乗り場の業務用エレベーター(1992年撮影)

東海道山陽新幹線100系車両そして隣のホームには緑色のラインの東北新幹線200系車両が写っています。

時代によってエレベーターの案内は業務用から車椅子用に変更

300系のぞみは車椅子乗客にはキビシイ車両でした

世の中の障害者に鉄道利用の厳しさを教えるために僕は生まれてきた そんなわけないやろ!

デビュー間もない300系のそみは車椅子乗客には使いにくい車両でした

①は300系のぞみ号が東京駅に到着したようす

②は100系新幹線(山陽新幹線のひかり号)を新下関駅で撮影した様子

駅と年代が違うものの300系のぞみ号が床を高くした設計になっていることが、わかっていただけるかと思います。

颯爽とデビューした300系「のぞみ号」ですが従来の100系東海道山陽新幹線)・200系(東北新幹線)に比べて、個室や通路が狭くそのかわりホームと車両の段差は高い、

多目的トイレがデザイン重視で頸椎損傷など重度障碍者は乗り移れない。

おまけに車内販売のお弁当は高い  それはバリアフリーとは関係ないだろう!

 

JR東京駅丸の内南口側の業務用通路

レンガの壁面を電球色で照らした業務用通路(何年か後に撮影・撮影年月不明)

 

壁面のトンネルが在来線ホームの業務用エレベーターとつながっています
(1993年撮影)


東京駅在来線地上ホームの業務用エレベーター

在来線ホーム(前後の写真から山手線と思われる)の業務用エレベーター

(1993年撮影)

上の蛍光灯が落っこちそうで心配ですね。東京駅の在来線ホームの業務用エレベーターはホームの端の有楽町駅側を向いてむいてひっそりと、車椅子ユーザーを電車へと導いてくれました。

 

千葉県船橋市に落ち着いた私は首都圏で車いすで(階段を担ぎ下ろしてもらうこととなく)乗降できる駅をさがして、書店で鉄道情報雑誌を複数入手するもののエレベーターはもちろんエスカレーターの情報も得られませんでした。業務用エレベーターなどの情報を鉄道会社が発信しているはずもなく、インターネットも無く鉄道会社がバリアフリー情報冊子もつくっていないころ。障害者自ら行ってみなければ駅の状況が分からないバリアフリー前夜でした。

 

鉄道雑誌を何回も読み直して渋谷駅の玉川口という山手線外回り線ホームに直結した改札口から、隣接百貨店のエレベーターで地上に降りられるのではないかと推理した私は、渋谷駅まで電車に乗ってみることにしました。

❷渋谷駅(玉川口)に降りてみる

JR渋谷駅案内図(1993年当時)

駅の案内図をみてしてやったり。玉川口改札を出てすぐに、エレベーターがあり地上に降りられました。

JR渋谷駅玉川口

改札口からすぐに隣接商業ビル(百貨店)につながっていた玉川口

地上のハチ公口に降りてきました。

ハチ公口に降りてきました

渋谷の有名な二つの像の前で記念撮影

ハチ公像とモヤイ像

ハチ公はわかるけどモヤイ像は単なる待ち合わせ場所を分散するためつくられたものじゃないの?

 

区立の渋谷駅西口の公衆トイレ(車いす対応がありました)

車椅子対応トイレをみつけること自体がたいへんな時代で、絶対数が少ないうえに施錠されていたり、人が住んでいたり、つかえる状態になかったり。やっと見つけた百貨店の多目的トイレには段があってたどり着けなかったり。

渋谷の街を車いすで行く

道路の真ん中を歩けるんだ!

歩行者天国をしらない田舎ものだけどあんたの街、交通量が少ないから年がら年中ホコ天みたいなものね。

有名な109なんだけど上の看板が写ってないよ

109にも入ってみましたが、あまりにも場違いだったので道玄坂を上って文化村(東急百貨店だったと記憶しています)で買い物をしました。

 

帰りのJR渋谷駅では,東京駅に早く戻れる内回り線ホームに担ぎ上げようと申し出てくださったのですが、山手線の駅全ての状況を確認したかったので.再び玉川口から内回り線の電車に乗せてもらい、車窓からカメラを構え新宿~池袋~上野とめぐるものの.業務用エレベーターはおろか、エスカレーターすら見つけることは出来ませんでした。

京葉線沿線の状況(1993年当時)

全面開業して間もない京葉線(全面開業は1990年ときいています)が東京と船橋との行き来に頻繁に利用する路線となります。

東京駅八重洲口南側の新幹線ホームからの業務用工レベーターがつながる通路は、物流倉庫や大型店舗のバックヤードのような雰囲気。レンガの壁が印象的な丸の内南側の業務用通路とは大きくイメージが異なりました。

 

東京駅八重洲口南側の業務用通路(写真は2013年撮影のものを使用)

京葉線ホームへの通路にエレベーターが整備されるまでは、一旦東京駅の駅舎を出て一般道路を国労会館の前を通りJRの関連ビルの業務用エレベーターに乗せてもらい、最終的には真新しい一般乗客用エスカレーターで京葉線ホームに案内してもらっていました。

ものすごく時間がかかりましたが、東京駅京葉線ホーム自体が、従来の東京駅と隣の有楽町駅との中間ぐらいの離れた距離につくられており、車椅子ユーザーだからと特に遠回りをしいられていた訳ではないようです。

 

東京駅・京葉線ホームの一般乗客用エレベーター(1993年撮影)

 

🔶舞浜駅におりて東京ディズニーランド10周年に行きました

JR舞浜駅は当時はエスカレーターのみ(1993年撮影)

 

JR舞浜駅(1993年撮影)

夢の国「ディズニーランド」に入るまでに車いす利用者には一般用エスカレーターを逆回転して改札口に降ろしてもらうという厳しい現実がありました。

 

東京ディズニーランドは10周年でした

当時のディズニーランド(シーは開業していない)は車いすで乗れるライド型アトラクションは蒸気船マークトウェイン号のみで、あとはシアター型のアトラクションをめぐることになりました。写真をみると10周年なのに以外にイベントが地味な感じでしたね、でも結構楽しめましたよ。

 

🔶葛西臨海公園駅にも降りてみました

葛西海浜水族園

 

JR葛西臨海公園駅はホームから2階改札口まではエスカレーターその後は階段のみ
(1993年の状況)

京葉線のホームを車窓から確認した所、1993年の時点で東京~二俣新町間の高架駅のホームにエスカレーターが設置されていることを確認したので、葛西臨海公園駅にも降りてみたのですが、エスカレーターの設置されていたのは3階のホームから2階の改札口階までで、地上へは階段しかありませんでした。車椅子を駅員さん3名で担ぎ下ろしてもらうことになり大変でした。千葉県発行のバリアフリーマップも入手していたのですが、「エスカレーターがある」としか情報がなく、「ホームから地上まで連続して使えるか」というような重要な記載がなく。たぶん「健康な職員の方が、車椅子を利用せずに得られた情報をもとにつくられたもの」と思われ残念でした。

葛西臨海水族園

葛西臨海水族園

葛西臨海水族園は、葛西臨海公園内にある水族館で、360度円形の巨大水槽にマグロ・カツオなどの回遊魚がグルグル泳ぎ回っていました。

感動を覚えた私は早速お寿司屋さんに出かけます

あんたは、水族館の魚はすべて寿司ネタに見えるんだネ!

🔴私の船橋側の京葉線の起点はJR二俣新町駅でした

JR二俣新町駅

千葉県船橋市で生活していた頃、よく利用させてもらった京葉線二俣新町駅(千葉県市川市)。地上に改札口がありエスカレーター(降りるときは逆回転)があつたため頻繁に訪れました。今でこそエスカレーターの車椅子での利用は安全面の問題(韓国で大きな転落事故があった)で禁止されていますが、1993年当時は階段を担いでもらうことに比べればはるかに安全な車椅子昇降手段として障害者団体などの情報誌にも積極的に掲載されていました。構内に車椅子対応トイレもありました。

問題はもう一つの起点としていたJR総武線船橋駅(キャタピラ式昇降機があったものの、手動車椅子を使っていた私は駅員さん4名で担ぎ上げてもらっていました)にくらべて遠方にあり、車椅子対応路線バス(リフト付きやノンステップバス)の無い時代タクシー代がどっさりかかりました。

 

❹総武横須賀線の状況(1993年当時)

東京駅での総武横須賀線ホームへの車椅子でのアクセス

東京駅丸の内北口の地下へのエレベーター

その後、丸の内南口側などにも地下へ行くエレベーターがもうけられるのですが、レンガ造りの駅舎の改札口を通らず、地下におりて別の改札口を通ってエレベーターで地下5階の総武横須賀線ホームに向かうなどということは。当時の私には思いもよらないことでした。

 

丸の内側ターミナルのエレベーター棟?(1992年撮影)

地下5階の総武横須賀線ホームから新幹線に乗り換えることが多かった私は、丸の内北口のエレベーターは南口側の業務用通路から離れた場所になることを配慮していただいたためか、駅員さんに誘導をうけて扉のうらに隠されたエレベーターを使わせてもったりして利用することはありませんでした。丸の内前のタクシー・ターミナルの真ん中にある建物のエレベーターから出てきたときは、東京駅のエレベーター網の複雑さに驚いてしまいました。

総武横須賀線ホーム(1993年撮影)

なお上写真の左上は地下5階の総武横須賀線ホームのものなのですが、写真に写っている業務用エレベーターは利用したことは無く、他のエレベーターを経由して地上にでています。

 

🔴私の船橋側の総武線の起点はJR船橋駅でした

JR船橋駅には最初に訪れた時から改札口内にキャタピラ式階段昇降機が置かれているのに気づいていたので、駅員さんの腰に負担をかけることなく階段を利用できるなぁ、と考えていたのですが、手動車椅子の私の場合は4名の駅員さんが集まって来て階段を担いでいただけるという対応になりました。

旅の起点・JR船橋駅のキャタピラ式階段昇降機

電動車椅子(1993年当時でしたので大きな物でした)に乗られた方が単独で、JR船橋駅を利用されているところに何度か出くわしたのですが、この方の場合は無条件でキャタピラ式階段昇降機が使用されていました。

私は銀座での夜の会合にご招待をいただき船橋から東京をこえて新橋(銀座に意外と近い)まで総武横須賀線の直通列車で職場の仲間と向かったのですが、そのときは駅員さんの少ない時間帯であったためか初めてキャタピラ式階段昇降機に乗せてもらいました。

キャタピラ式階段昇降機は、転倒のリスクがあり乗っていて衝撃を感じることから、車いすユーザー仲間には不評でしたが、1993年当時は駅に導入されたことが「車いすに優しい配慮」として鉄道会社の広報誌にとりあげられたりしていました。

 

🔶JR新橋駅の総武横須賀線の地下ホームからはエスカレーターの乗り継ぎの連続でした。

JR新橋駅・総武横須賀線ホームからはエスカレーターを三度乗り継ぎ

職場の仲間と駅員さんが手助けしてくださったものの、地下深くの総武横須賀線ホームから3回のエスカレーター乗り継はたいへんでした。

 

なおエスカルが開発され八王子で試験運行がなされたのはこの1993年、私がアクセス東京の案内でJR新橋駅・山手線ホームのエスカルを初体験するのは1996年のことになります。

 

🔶JR横須賀駅は全く段差のない中間駅でした

JR横須賀駅は全く段差のない中間駅だということを職場の仲間に教えてもらったのですが、終着の久里浜駅までの中間駅なのにどのような構造になっているのか、理解できずとりあえず行ってみることにしました。

全く段差のない中間駅・JR横須賀駅

訪れてみて、この駅は本来は終着駅の頭端式ホームで一つの改札口から全てのホームに平坦でたとりつける構造であること。久美浜までの路線は単線で、後に端のホームから路線が延ばされたために、従来の頭端駅の構造がそのまま残されていることが分かりました。1993年当時の関東のJRの駅としては階段を担ぎが上げてもらうことなく車椅子で利用できる奇跡的な駅でした。

 

JR横須賀駅の説明のため著者が描いた構内図(略図)

 

三笠公園(戦艦「三笠」が展示されたいます)

戦艦三笠

JR横須賀駅は海軍基地への輸送を目的としてつくられた歴史的経緯があるそうで、海に近く多くの軍事艦船を見ることができました。

日露戦争時、日本海海戦などで使われた三笠が展示されていましたが、浮かべられているのではなく、岸壁にコンクリート?で固定されていました。車いすでは内部の見学はかないませんでした。

 

このブログの記事は1990年代の首都圏JRの駅のバリアフリー状況の回顧録です

 

❺東京駅・山手線ホームに一般用エレベーター設置

その後、東京駅山手線ホームには2002年頃に一般乗客用エレベーターの設置工事が行われ、私は2003年に初めて利用することが出来ました。

JR東京駅・山手線ホームへの一般乗客用エレベーターの設置

上写真の左側は工事中のエレベーター(2002年撮影)

右側は完成した山手線ホームの(山手線は黄緑がシンボルカラーで、隣の青色がシンボルカラーの京浜東北線乗り場と塗分けられていました)一般乗客用エレベーター(2003年利用体験)

 

車いす生活になってまもない私が最初に山手線の乗車に乗ろうと試みてから10年程の年月を経て、ようやく一般の人も利用できるエレベーターが運行をはじめました。

 

参考資料2000年代に入り駅バリアフリー化(エレベーター設置にはなかなか至らないものの)に動き出したJR山手線の状況

 

JR山手線・アクセス設備一覧 2000年「アクセス東京」調べ

 

 

JR山手線アクセス設備一覧 2001年「アクセス東京」調べ

いまとなっては山手線のバリアフリー化のプロセスを知るための良い資料なのですが、私が関西に戻ってしまって遠い地域の鉄道情報になってしまったため、あまり残っていませんでした。しかし長年「東京駅という入口のみ」といわれた山手線の駅のバリアフリー化が2000年代に入って動き出したと読み取れるのではないでしょうか。

ただし、足腰の弱ったお年寄り・ベビーカーを押す親御さんなど全ての歩行弱者に対応したものではなく、Гエスカル」「車いす対応エスカレーター」の設置が先行して.すべての人への駅バリアフリー「一般乗客用エレベーター」設置にはまだしばらく時間がかかることになります。

 

 

私は地元障害者団体の機関誌や1995年頃からはじめた「アシトドのホームページ」の車椅子での鉄道旅行情報発信を行った功績を認められ、2003年「アクセス東京」の招きで東京国立市で、車いす旅行仲間の情報交換会車いすアクセス・マニア全国集会」の第1回記念大会の講師をさせていただきました。

第1回 車いすアクセスマニア集会
2003年東京国立市にて開催

駅の階段を担ぎ上げてもらい、街中で車いすで入れるトイレをさがし、荷物用エレベーターやひっそり設けられていることがあった車いす用のスロープ通路を見つけながら鉄道旅行を楽しんできた私。その後、都市部を中心に駅にエレベーターが次々と設置される状況を目の当たりにし、以前は電車の中で出あう事の無かった高齢者・ベビーカーを利用する人、そして車椅子ユーザーと巡り合うことができるようになり、別になりたくてなったわけじゃないけど、駅のバリアフリー化のプロセスを体験できた、いい時代に車いす生活をおくってきたのかなぁとも感じています。

駅のバリアフリー化の歴史を体験してきた

車椅子電車評論家・アシトド松井

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