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車いす城郭評論家・アシトド松井
車いすで行く姫路城 前半に引き続きご覧いただきありがとうございます。簡易電動車いすと介添え役(介助者と同じ意味で使っています)2名そして、外国人観光客の方の助太刀(大勢の方がお手伝いしましょうか?と声をかけて下さいました)を得て。車いすのままで、階段を担ぎあげてもらいことなく到達できる本丸(備前丸)をめざして、天下人へと上り詰めます?
中国大返しで拠点、姫路までもどり山崎の合戦にのぞむ秀吉かぶれのようだね
車いす利用者はぬの門へ向かうことになるのですが、ろの門(写真左側)から入ると姫路城の特徴である連立式天守(大天守と3つの小天守がつながっている)による強力な防衛ラインを感じることができます。健常者時代にろの門から天守群をみせてもらつたことがありました。1993年に写した遠くから連立式天守の様子がわかるなか?という写真を最後の方に載せておりますのでご覧いただければ。
⇧写真を見ていただいてお城好きなら気づかれるかもしれませんが、江戸時代にこの様な(排水を含めて)スロープ通路が造られたとは考えにくいことです。一般の観光客を含めて石段で転倒することなく安全に姫路城を見てもらえるよう、ギリギリの配慮なされたのではと感じました。
播州皿屋敷のお菊が投げ込まれたとされる井戸。「一枚 二枚」と数が合うはずのない皿を数える霊として現れるという怪談話。私は爆笑王とばれた方の落語で皿屋敷のような怪談がいくつかの地域に伝えられていることを教えてもらいました。
実地棚卸で枚数が合わなかったら、棚卸減耗損で処理するのかなぁ
つまらぬことを言うからアナタは信用がえられないの❕
りの一渡櫓は展示館として利用されていて、入り口と出口にスロープ通路が設けられており車いすで入ることが出来ました。
手をかけている木製の扉を開くと石垣が見えました。櫓へとよじ登ってきた武者を攻撃するための石落と思います。現存する櫓の石落としを車いすでのぞき込める場所を私はほかに見つけられていません。今回は展示パネルの裏側になって石垣をのぞき込むことができませんでした。
城マニア的にはとても残念でした
マットが引いてあるところを直進すれば安全に上れるのかなぁ、と思ったら考えが甘かった。埋め込まれている石の凹凸が解消されているわけではなく、結局マット上は通らず。より凹凸の少ない場所を目視しながら少しずつ上る。車いすのキャスター(前輪)を中腰でコントロールしていただいた介添え人(介助者)の方には過重なご負担をおかけしました。
後ろを押し・支えるのも大変だったゾ
目立たぬご配慮のおかげで備前丸の端に行くことが出来、大天守閣を背景に記念撮影と、わずかながら姫路の街をのぞむことができました。
いうまでも無いことですが車いすは、登るよりも降るほうが難しい。後ろ向きに下るので進行方向を介添え人(介助者)の方に安全そうな進路を伝えることが出来ず、見かねた外国からの観光客の方が随所で手助けを申し出て下される。最終の菱の門を出たところの下り坂ではお言葉に甘えることに、ありがとうございました。
☞「バリバラ 歴史バリアフリー」このような登城を試みる方もおられましたよ
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天空の白鷺
「平成の大修理」の際には大天守が屋根とシートで覆われ、「天空の白鷺」という名称でエレベーターを使って工事の様子を外側から見学するという配慮がなされていました。
通路にもさらに緩やかかな仮設スロープが設置されるという期間限定の特段の配慮がなされていました。
2008年開催の「全国車いすアクセスマニア集会」において、姫路城の登城の可能性を地元の電動車いす利用者の方に画像をみながら紹介していただいたことがあるのですが、途中にいくつかの段差・幅の広い階段があり、独自に準備されたスロープ板を介助者に前後に渡しなおしてもらいながら、大天守閣真下の備前丸にたどり着かれていました。地元の車いす利用者と協力いただけた皆様のご尽力の成果で、スロープ板の助けを借りることなく備前丸まで行くことが出来るようになたのでは・・と感じました。
☞全国車いすアクセスマニア集会につきましては、こちらをクリックしてご覧いただければ幸いです
1993年撮影の写真で、すごく小さく見えるだけですけど姫路城の連立式天守の防御力そして美しさを感じ取っていただけれれば。
からのぞむ 1993年撮影
ありゃ・・私も若かったね
姫路から足(いえいえ車いす)を伸ばせば
車椅子の城マニアの方は訪れてみてくださいね
車いす生活になってもお城好きがなおらなかった困ったやつ
あんよも治んなかったね!
車いす城郭評論家・アシトド松井